マドゥライの人の歴史にある寺院

四方八方から鳴り響くクラクション。鼻につく排気ガスとゴミの匂い。物珍しそうにこちらを見て、時には笑いかけてくれる人々。そんな中を歩いていると、圧倒的な高さと存在感を誇る塔が見えてくる。ドラヴィダ文化の結晶、ミナクシ寺院だ。塔は青を基調としつつ、赤、緑、オレンジ、など無数の色が混在している。その形容し難い色合いと周りとのギャップにより、まるで超古代文明の遺跡が突如地表に出現したかのような印象を受けた。私はその姿を間近で見て、しばらくの間目を奪われてしまった。

寺院の中は、訪れた多くの人々で溢れていた。男性、女性、子供達、カップル、老人。彼らは、思い思いの神の前に立ち止まる。そして、あるものは拝み、あるものは横たわり、あるものは像を見つめた。そこにいたのは、まさに老若男女、ヒンドゥー教を崇拝するあらゆる人々だった。

若い恋人たちは腰掛け、院内の池を眺めながら静かに語っていた。子供たちはガネーシャの像に白い粉をふりかけ、真剣な面持ちで祈っていた。そしてすべての人々は常に神聖な空気に浸り、神と対峙していた。そこは聖域でありながら、デートスポットであり、遊び場代わりの空間であった。

私は初めて近くから塔を見たときに思った。
「なぜこれほど荘厳なものが世界遺産でないのか」
それはミナクシが過去の遺産ではなく、昔と変わらずに人々が信仰する場であるからだろう。ミナクシは頻繁に塗り直され、建てられた当初とは異なる様相になっているという。デザインを変えることは、神を祀るのによりふさわしい場にしようという生きた信仰心からくる。人々の思いは17世紀と何も変わらない。子供から老人まで、そこに住む人々の人生にはいつもミナクシ寺院がある

そして今日も人々はミナクシへ向かう。

【文責:9期 小川聡仁】

 

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