来週の予定

来週の予定。授業・バイト・サークル。

多分、再来週もその次も同じような予定で私のスケジュール帳は埋まっていく。

「自分の家がなくなるかも知れない」
そんな嘘みたいな来週の予定を、すっと話してくれた人がいた。
彼女と出会ったのは、フィリピン・パヤタス。首都マニラからバンで二時間とかからないこの地区は、フィリピン第二のゴミ山が存在することで知られている。「そこで生きている」ただそれだけの事実で、彼らはフィリピン国内の差別対象になってきた。
「パヤタス?どうしてわざわざそんなところにいくの」と、仲良くなったホステルのお兄ちゃんライアンは言った。怒っているのか悲しんでいるのかよく分からない表情。なんと答えたらいいのか分からない自分がいた。

ライアンがそういうのも無理はなかった。
街を歩けば、ゴミ山からの腐卵臭が鼻をつく。裏路地に入れば、皮膚のただれた犬たちがつまらなさそうな上目遣いでこっちを見ている。ゴミと、泥でぬかるんだ足元。何千というハエがせわしなく八の字旋回を繰り返している。

それでも確かに、ここには彼らの生活があった。とてつもなく大きいゴミ山の頂上では、豆粒くらいの黒い人影が2、3動いていた。
スカベンジャーと呼ばれる彼らは、ゴミ拾いで生計をたてている。定職を持たず日銭で命をつなぐ彼らにとって、あの山はいざという時の収入源だった。
健康のことを考えると一刻も早く閉鎖したほうがいい。ゴミ山が差別の一因になっている。そんなこと、痛いほど分かっている。それでも…。
継続か閉鎖か。彼らの心は揺れていた。

彼女の家は、そんな複雑な山の裾野にポツンと佇んでいた。ご近所さんは、先週までに皆、政府による立ち退きにあった。安全のためという建前のもとで、着々とゴミ山の拡大がすすめられているのだという。

家に招き入れてくれた彼女の名前は、ローリー。まだ20代ながら1・5・7歳の子供たちと旦那さんと、ここパヤタスで生きている。少し垂れ目で大きな瞳、ちいさめの八重歯。後ろでひとつにくくった黒髪はつやつやしていた。
彼女は、私がなにを聞いても隠そうとはしなかった。けれどそれと同時に、自分の境遇について絶対に暗い印象を与えようとはしなかった。
それは彼女が「貧しくてかわいそうな人達っていう目線の報道しかされないのが悲しい。ここで何がおきているのか、自分たちの声を届けてほしいのに」。と話したことに通じる姿勢だった。

「この家はあまったセメントをもらってきたり、貯めたお金で材料を買ったりして作ったの。あと、廃材を拾ってくることもあった。二年間かけて旦那さんが少しずつ大きくしたのよ」。と嬉しそうに笑った。
でもあの家はもう、ゴミ山に飲み込まれているかもしれない。

継続と閉鎖に揺れるこの地だけれど、誰しも自分の家を守りたいと願っていた。当たり前の願い。この地ではそれすら矛盾したものに聞こえてしまう。あの山無しでは生きていけないのに、そのせいで家が消えていく。怒りでも悲しみでも、そしてもちろん同情でもない感情がこみ上げた。

あの時ライアンが見せた表情の意味がほんの少し、分かったような気がした。

【文責 広報局2年 松坂くるみ】

フィリピンのごみ山にて

車窓から外を眺める。ゆらゆらと揺れる車の赤いバックランプ。個性の無い高層ビル。マクドナルドの広告。インフラの整備に従事する作業員。街のネオン。都市を想像してみて下さいって言われたら誰もが想像するような風景がそこには広がっている。隣ではタワシのようにぽつぽつした髪のおじいちゃんがタガログ語と英語を混在させながら僕に話しかけてくる。
「フィリピンにくるのは初めてかい?」
「そうだよ。」
「フィリピンにようこそ。ハハハッ」
夜のハイウェイをありえない速さで飛ばしながら僕に話しかけてくる。もうちょっと安全に運転して欲しい。

現在、首都であるメトロ・マニラを中心にフィリピンは目覚ましい発展を遂げている。GNPも年々着実に伸びている。世界第五位の大都市圏とも言われている。数字だけを見れば確実に国は豊かになってきている。たが、この発展の恩恵は人々に均等に還元されているわけではない。一部の人々のみがこの恩恵を享受できている状態にある。富裕層が行く綺麗なショッピングモールの横でストリートチルドレンが裸足で遊んでいたりする。きらびやかな高層ビルの横には有り余りの材料で作られた家々が点在する。そんな首都マニラからそう遠くない、車で30分程移動したパヤタス地区にゴミ山が存在する。1999年7月に焼却炉によるゴミ焼却を禁止する世界初の法律「大気浄化法」が施行されたことをきっかけに、ゴミ山が形成されるようになったと言われている。そのゴミ山で貧富の差を象徴したかのような職業が存在する。

スカベンジャー

ゴミをあさって売れるものを探し、生計を立てる者の名称だ。様々な理由で一般的な職に就けなくなった人々がスカベンジャーになる。三年前、とあるドキュメンタリー番組を見た事をきっかけに僕はこの職業について知った。実際にパヤタス地区のゴミ山に行く事になった際に僕はフィリピンの知人にそのことを告げた。そうすると彼女は驚いた顔で、
「家は近いけど行った事ないなぁ」
と僕に語った。現地の人にとっては話題にしたくない、タブーのような場所であるのかもしれない。

3月3日から3日間、実際にこの地区へ行ってみた。
だが、そこは僕が考えていたよりも凄惨な場所では無かった。勿論、そこに暮らしている人々の生活は苦しい。無数にハエが飛び回る劣悪な環境の中、安い賃金を得る為に一生懸命人々が働いている。2000年に起きたゴミ山の崩落で家族を失った者もいる。雨が降れば家の屋根から雨漏りがする。ゴミの中には何があるかわからない。時として大怪我をする者もいる。そんな環境ではあるが、人々は前を向いていた。街を歩けば子供達が歯を見せながら走り回っていた。外国から来た僕たちに手をふってくれる。商店街では笑顔で街の人々が話し合っている。

僕は正直何故こんなに苦しい生活なのに人々は陰鬱さを見せずに生活しているのか疑問に感じた。しかしその疑問の答えは、ある一家の家庭を訪問した際に理解できた。その家庭には明かりも無く、ベッドも無く、家族五人がぎりぎり入れるような家であった。そこでその家庭のお母さんに
「何をしている時が幸せですか?」
と質問してみた。そうするとお母さんは少し照れながら、
「家族一緒にいる時が一番幸せです。」
と答えてくれた。僕は思わずハッとなった。僕にとって家族とは、いて当たり前の存在だと思っていたからだ。だがこの地区の人々は家族との繋がりを大切にし、今を生きるため一歩一歩前へ歩いていっていたのだ。

改めて様々な事に気づけた3日間であったが、この地区に来て特に僕は「支援」のあり方について考え直した。この地区の人々は僕が想像していたよりもずっと前向きに日々の生活を送っていたが、ハッキリと言って未だ尚この地区は支援を必要としている状態である。だが、同情から支援をするのでは無く、その地の人々と一体となり、共感しながら支援をしていく必要があるように感じた。同情とはあくまで自分の価値判断で起こる感情だ。チャリティー活動を行っていたドキュメンタリー番組などは悲惨な現状を伝え、同情により募金を募る。一時的に人々は同情をし、募金する。そうして自分は善い行いをしたように感じる。終わり。そうでなく、支援する為には共感する事が必要ではないだろうか。共感とは相手の世界を、実感を持って感じられる時に初めて起こってくるものだ。現地に足を運び、人々と触れ合う。それが「支援」の第一歩であると思う。そうすることにより、人々の価値観、メディアと実際の現状との違い、実際に何が必要なのか、対人関係、長期的なビジョンなどが少しずつ理解できるようになってくる。人々は「支援」をする前に、何が「支援」なのかを考えてみる必要があるのかもしれない。

僕らが学校で能天気に授業を受けているこの時間にも、ゴミ山で暮らす人々は今を生きるため一生懸命働いている。

 

【文責:7期 長内椋】