宇宙人のような感覚

セルビアとマケドニアではほとんど感じなかったが、コソボで自分に強い印象を与えたのは、人々の好奇心に満ち溢れた視線だった。
コソボの街の道をアジア系の人々が歩くことは珍しいもんだろうか、地元の人々は自分たちに声をかけたが、それは時には友好的であり、ときには挑発的であった。

こうした挑発的な行為として自分たちが道を歩いていたら、見た瞬間即座に自分たちを見た目がアジア人だから中国人と判断して、
「チャイニーズ!チャイニーズ!」
と呼びかけたり、挙句の果てには目を細めたりする子供もいた。

自分たちは当然それに怒りを覚えるが、そのような扱いを人々からうけることにフラストレーションが溜るのも当たり前だ。
なぜなら日常的に日本に暮らしていて、周りが全員見た目同じであれば、外見で扱われることは全くないからだ。

しかしコソボでは自分たちは外見的にコソボの人々とは全く異なり、コソボで日常的に暮らしている人からしたら日常的にアジアの人々と接する機会はほとんどない。
このような状況を考慮したら我々日本人は、コソボに住む人々からしてみたら、まるで宇宙人であるかのような目で見られているのかもしれない。

2015.10.20

【文責:シルバーマン剛】

旅する自由

オーストラリア、マレーシア、バングラデシュ、インドネシア、台湾、セルビア、コソボ、マケドニア、アルバニア。
一見すると、無作為に並べられたような国々。
これらの共通項とは一体なんだろう。きっと誰にも分からないはずなので早くも答えを発表しよう。これらはわたしがいままでに訪れた国である。
外国に行きたいと思うとき、わたしが真っ先に懸念するのは金銭問題だ。旅に出るには、お金が必要。航空券も現地での生活費も、すべて自分のお金で払おうとすれば旅行までの何ヶ月間アルバイトを詰め込んで生活しなくてはならない。大学生の長期休みには時間が溢れているから、あとはお金さえあればわたしたちは世界に飛び出せる。これが日本の当たり前。
冒頭でわたしが挙げた国々を覚えているだろうか。思い出してみてほしい。その中にコソボという国がある。わたしがこの夏に赴いた場所だ。先行するイメージは、きっと、紛争だろう。実際に行ってみると、明らかに目に見える紛争の爪痕といえるものはあまりなかったように思える。もちろん、首都を離れて山のほうへ向かえば、紛争で虐殺された人々の墓場があり墓場周辺の一帯は明らかに首都や他のところとは違った雰囲気を帯びていた。しかし、あえてそのようなところに行かない限り、この国で紛争が起こったと感じさせるものには出くわしにくかった。
よく晴れた日のことだった。
“TREAT US FAIRLY”
“WHERE IS MY FREEDOM OF MOVEMENT?”
通りすがりの壁面には、そう落書きされていた。その横にはこう続いていた。
“VISA LIBERALISATION PROCESS FOR KOSOVO”
「コソボにビザの解放を」。コソボがビザに関して何かしらの問題を抱えていることはわかった。この発見の後、コソボの多数派住民であるアルバニア人の大学生との交流会があった。その中の学生の1人が落書きの意味を教えてくれた。
トルコ、アルバニア、モンテネグロ、トルコ。
これらの国に共通することは何か。わかるだろうか。これらの国のみがコソボに住むアルバニア人に許される旅先なのである。この夏、最もショックを受けた瞬間だった。紛争を経て、コソボはコソボ共和国として独立したがその国の存在はまだ国際社会に正式に承認されていない。そのために、このような現状に直面しているのだ。もちろん、虐殺の跡地を訪れたときも、コーディネーターから紛争の歴史を聞いたときも、何度も何度もショッキングな過去や現実を目の当たりにした。でも、わたしはそれらすべてを上回るショックに、その学生の言葉によって直面したのである。それはわたし自身が遠くの日本から来た、まさに「旅する自由」を絶賛満喫中の外国人であったからだろう。お金さえあればどこだって行ける。わたしにとってはそれが当たり前だった。しかしコソボのアルバニア人は、どんなにお金があっても現状では「旅する自由」をあたえられていない。ただ、コソボという国に、アルバニア人として生まれた、というだけで。
世界地図を広げてみる。
アメリカ、インド、メキシコ、モロッコ、ラオス、 ー。
まだまだわたしには行きたい国がたくさんある。きっとわたしはこれからもたくさん旅をする。行ったことのある国が増えれば増えるほど、なんだか世界は小さく感じられる。この感覚は「旅する自由」を与えられた者だけが持てるものなのだろうか。コソボにいるわたしの友達には共感できないものなのか。それはどちらとも言い切れない。ひとつ言えるのは、このコソボ人が「旅する自由」をもたないという現実は、「改善されるべき」問題ではなく「解決されなければならない」問題なのである。
“FREEDOM OF MOVEMENT FOR KOSOVO!”
2015.10.21
【文責:企画局2年 榊汐里】

 

2015夏旧ユーゴスラヴィアスタツア

日本人と中国人
ムスリムとユダヤ教徒
イギリス人とアイルランド人

これらの民族たちは今もなお民族対立を抱えている。
他にも世界ではこうした対立から引き起こされた紛争が起き、そして起こるだろう。

セルビア人とアルバニア人という民族を知っているだろうか?
セルビア人は聞いたことがあるかもしれない。
サッカーもそこそこ強い国で日本とも対戦したことがある。
アルバニア人はどうか。
おそらく聞いたことがある人は少ないのではないか。
ではコソボという「国」を知っているだろか、という問いならどうだろう。
これならば聞いたことがある人が多いのではないか。

コソボ
その「国」は1991年に大きな紛争が起きた地であり、日本人の多くはコソボと聞けば「紛争」という言葉を連想する。それだけ大きな戦いがあり、悲惨な事がたくさんおきた。
コソボはもともとセルビアの一部であり、自治州だった。
しかしながら、そこには多くのアルバニア人が住んでいた。
このアルバニア人達が独立を主張し、セルビアがこれを抑圧したことが紛争の発端である。
現在国連111カ国がコソボの独立を承認しているなか、セルビアは依然として自治州という姿勢を崩していない。
正直なところ、こんな文章ではコソボを巡るセルビア人とアルバニア人の関係を語り尽くすことはできない。それくらい状況は複雑すぎる。

私は今年の春と夏、二度にわたってこのコソボという「国」を訪れた。
はじめの頃の私は未熟で、遠慮なしにこの地に土足で踏み込んでいった。
自分で変えることはできないにせよ、いつかはこの対立は終わるものだと思っていた。
コソボはそのイメージとは違い、一見すると紛争の歴史を微塵も感じさせない場所であった。
首都のプリシュティナには整備された道路があり、立派なビルもある。商店はにぎやかで、いつも人で溢れていた。
しかしなぜだろうか。その場所はどこか暗く、どんよりとした空気を纏っていた。
その原因の一旦を垣間みることが出来る場所がある。
ミトロヴィッツァ。相対する二つの感情が交差する町。
この町には橋がただ昔からずっとそこにあったかのように毅然と存在する。
この町の、橋を挟んだ北側にはセルビア人が住んでいる。つまり、この町にはアルバニア人とセルビア人が橋を隔てて住んでいるわけだ。
セルビア人が橋を渡れば、石を投げられ罵声を浴びせられる。少なくとも彼らはそう信じて疑わない。

ミトロヴィッツァでアルバニア人の友達ができた。
彼は強くセルビア人を憎んでいた。
そんな彼に言葉を投げかける。
「アルバニア人のことは大好きだ。みんな親切で陽気で。でもセルビア人も君らと同じように、みんな親切でいい人なんだ。僕は彼らのことも大好きだ。」
すると彼は心底驚いた表情を見せた。
「セルビア人がいい人?それは本当?信じられない。」
彼はそう言った。
私にはあまりにもこの言葉が衝撃だった。
彼は何も知らなかったのだ。
彼は紛争という歴史が生み出した憎しみだけで、セルビア人を見ていたのだった。本当のセルビア人の姿を知らずに。そしてそれは、セルビア人も同じなのだろう。

しかし、私は彼らではない。
紛争を経験したことはないし、友達を、親を、愛する人を殺されたことはない。
そんな私が「過去は水に流して、手を取り合おう。」などと簡単に言っていいのだろうか。

私には言えなかった。

私は絶望している。
民族の対立が消えることは決してなく、私にはどうにもすることはできないと悟ってしまったからだ。
血で血を洗う惨劇が生み出した憎しみは、そう簡単に消えるものではない。
さらに、多くの場合、そこにアイデンティティや民族、国家など、さまざまなモノが絡む。
その極限までに絡まった糸をほどくことは不可能に近い、と私は思う。

ただ、やはり、本当の姿を見なくてはならないと思う。
「仲良しになれ」とは言わない。「水に流せ」とも言わないし、「握手をしよう」とすら言わない。
「本当の姿を知る」。それだけだ。
それを知った結果、憎しみが消えるなど思っていない。対立がなくなるとも期待していない。
「知ること」に目的などいらないと思うのだ。
だからこそ、知ってほしい。
自分の憎しみの矛先にいる相手のことを。
それで何が起こるかが、誰にもわからないとしても。

私は絶望している。
でも、心の本当の奥深くの、本当の隅っこで、いつかセルビア人とアルバニア人が分り合える日がくることを待ち望む自分がいることもまた、真実なのだ。

2015-11-02

【文責:7期広報局 岡勇之介】

アルバニアに行ったことはあるかい?

「アルバニア」
この国をいったいどれほどの人が知っているだろうか。
中東だろうか。それともアジアのどこか?
世界地図とにらめっこ。
見つけた。
ギリシャの北、イタリアの東。
そこにその国はあった。
「アルバニア」
今度はインターネットを使ってみよう。
「マフィア」「ねずみ講」「犯罪」「治安」
げっそりする。
いつもそうだ。行ったことのない人間が作り上げる虚像。
そうだ。行ってみよう。
ホンモノを見るために。

“Mirëditë !!”
わけのわからない言葉を浴びせられる。
僕はアルバニアにいた。
アルバニアは日本人の99.5%が行くことがない国。
選ばれた0.5%なのだと不思議な優越感に浸る。
“Mirëditë !!”
どうやら「こんにちは」ということらしい。
僕も返す。
“Mirëditë !!”
にこやかな笑顔が返ってくる。
とてもおだやかな町並みだ。

アルバニアの魅力はなんといっても自然。
穏やかなアドリア海の風で育まれた自然は、未だに人の手が加わっていない部分が大きい。

ここはサランダ。
アルバニアでも数少ない観光地のひとつだ。
多くのギリシャ人、イタリア人がバカンスにやってくる。
透き通るような青と、太陽に照らされた緑と。
そして陽気で楽しいアルバニア人。
アルバニアのいいところを集めた、宝箱をひっくり返したような場所。
みんながそれを求めてやってくる。

森の中に突如現れるこの場所。
名前はブルーアイ。
「青い瞳」の名前の通り、緑色の風景の中に凛としてある青色は、人を虜にする魔性の瞳。
ここがアルバニアを流れる川の源だそうだ。

アルバニア人は言う。
「私たちは自分の民族、そして国に誇りを持っている。問題も多いかもしれない。でもこの国が私たちの誇りなのだ。私たちのこの国を、世界中の人に見てほしい。」

私たちはインターネットという波に流されてくる、汚いところを掬いとって見ているだけだ。
本当にみたい、見なくてはいけないものはその海の向こう。
だから、僕は、向こう側へ。
ホンモノを求めて。

2015.10.09

【文責:7期 岡勇之介】