ディストピアとは、ユートピア(理想郷)と対立する仮想の世界観で、現実であり得る最悪の社会のことを示している。僕はディストピアにふさわしい世界が現実に存在していたことを知ったので、それについて書こうと思う。
高い塀で囲まれた広い敷地内には、コンクリートの建物がいくつか建っている。一見すると中学か高校の校舎のようにみえる。ただ異様な点があるとすれば、塀の上とそれぞれの階の窓には有刺鉄線が張り巡らされていることだ。不気味なその建物とは対照的に、中庭にはヤシの木が立ち並び、緑が眩しい。
プノンペンにあるトゥールスレン博物館である。わずか30年ほど前にはS-21収容所としてクメールルージュが残虐の限りを尽くしたその場所は、そのままの姿で残っていた。当時の狂気を伝える博物館として。
建物の中に展示された写真、絵は当時行われていた尋問の様子が描かれている。そのあまりの生々しさに背筋が冷たくなった。空気が重く、息を深く吸い込むことが出来ない。人間にここまで非道な行為ができるのか。
クメールルージュが政権を握っていた四年間で総人口の三分の一が殺された。知識人の多くは新国家建設のための協力者として呼び出され、S-21を始めとする収容所に送られ拷問の末に殺された。文盲や農民、子どもだけが、兵士や看守として教育された。
現在、カンボジアで英語を話す年配者はほとんどいない。知識人の半数以上がポルポト政権時代に殺されたからである。虐殺による国力の低下はカンボジアの発展に大きな弊害となった。貧困が絶えないカンボジアには、ポルポトの爪痕が今も残っているのだ。
意外なことに、若い人たちは自分の国で起きたことを深く知らないのだという。学校で教えることもなく、大人たちもあまり多くを話したがらない。
暗い歴史はどの国にも存在する。ひとつの国を知るには、表面だけでなく、裏に潜む暗い歴史を知る必要がある。カンボジアという国を知るには、虐殺の歴史も知ることが必要なのだ。
カンボジアを象徴するのはアンコールワットのような輝かしい遺跡だけではないのだ。かつてこの国を支配したディストピアを忘れてはならない。
独房の中に入り、外の景色を眺めてみた。鉄格子越しの世界は驚くほど静かで、平和だった。
【文責:7期 久保田徹】