「平和」なのに「幸せ」になれない街

「幸せって何ですか?」

この問いかけは様々な場面で出会う。
この質問にはっきりと答えることができる人はどのくらいいるだろう。

私は笑っていられる瞬間が幸せだと思っていた。

チベット自治区で暮らす多くの人たちが笑顔をたたえながら生活していた。
街の中を巡礼する人々、マニ車を回しながら歩く人々、お寺に向かって五体統治をする人々。
街で聞こえてくるのは中国語ではなくてチベット語。
人々は時間があれば外でお酒を飲みながら「ピクニック」をしている。
争いの気配はなく、街の雰囲気はあまりに平和だった。

「あれ、もしかして彼らは今、幸せなのだろうか?」

悲壮感なんてどこにもない。
今この瞬間を仲間と一緒に楽しむ幸せそうな顔しか見られない。
すっかりチベット人が亡命する理由を見失ってしまった。

しかし、私は思い出す。ラサの街に着いたときの衝撃を。
街には鮮やかな赤色の中国国旗が溢れかえっていた。
チベットと聞いてイメージされる神秘的な雰囲気はどこにもなく、目の前に広がるのはどこにでもある整備された綺麗な街だった。
道路の向かい側には建設中の大きな建物が見える。
そして街中でわざとらしいほどに強調される「祝自治区成立50周年」の文字。

どこにいても中国の存在感を感じずにはいられないのだ。
嫌悪感しかない。
チベットが中国の一部になっているのだということを実感した瞬間であった。

なぜ人々はこんなにも穏やかに暮らせているのだろう。街は嫌というほど違和感で満ち溢れているのに。
その一方で、なぜ人々は自らの命を投げ出すリスクを背負いながら亡命してくるのだろう。平和な環境が保証されているのに。
なぜ、なぜ、なぜ。
幸せそうに見える彼らの姿は、チベット問題が何を意味するのかをわからなくさせた。

そんなときに街で出会ったチベット人の一言が胸に突き刺さる。
「漢人ハ他ノ外国人ト絶対ニ違イマス。」
彼の言葉はチベット人が抱く中国への本当の思いに気づかせてくれるのに十分だった。

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ダラムサラで、あるチベット人は言った。
「チベットで暮らすということは、牢屋の中で暮らすようなものです。」

彼の言葉は、亡命の本質を簡潔に、かつ的確に突いていた。
人間が本来持つべき権利を持っていないということが何を意味するのか。
生まれながらにして一人の人間として尊重されてきた私は、自分が思ったことを自由に発信できないことがどんなに辛いものなのか想像できていなかった。
「平和」ではあるけれど決して「自由」ではないチベットの街が頭をよぎった。

街のあちこちに飾られるダライ・ラマの写真。
カフェで警察がいないかと、警戒することなく自由に話をする人々。
もちろん「民族万歳」のスローガンはどこにもなく、押し付けられた中国国旗も見当たらない。

これこそ、本来あるべきチベットの姿だ。
彼らは別に中国からの独立を要求しているわけではないのだ。
彼らが求めているのは「自由」、ただこれだけなのである。

ーーーーーーーーーー
チベットの街はとても「平和」だ。
青い空が広がり、その下ではタルチョが昔と変わらず風になびいている。
人々は心の中で法王を慕い、仏を敬い、優しさと強さを忘れずに暮らしている。
この街に自由が訪れたらどんなに素晴らしいことか。

ああ、平和な街が「幸せ」で満たされるのはいつになるだろう。

【文責:8期木下真紀】

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「こんにちは」

アッサラーム アライクム السلام عليكم
サラーム سلام

ヨルダンの街で飛び交うこれらの言葉、一言で言えば「こんにちは」である。しかしこれらの言葉の本当の意味を考えてみたい。

アッサラーム アライクム 「あなた方の上に平和がありますように」
サラーム 「平和」

こんなにも温かく優しい挨拶の言葉が中東では使われているのだ。

アラブ圏ではなく中東である。ユダヤ人の住むイスラエルで使われる「こんにちは」も

シャローム שלום 「平和」

なのだ。

しかしアラブとイスラエルにはパレスチナという土地をめぐる長く続く対立がある。この対立で多くの命が奪われ、また、イスラエルにより奪われたこの土地から数多くの難民が生まれているのだ。

僕はそんな世界に生きる現地の人々の声を聞きたかった。

ある時、ヨルダン人の現地コーディネーター、彼の友人、その友人の娘さんの話をじっくり聞ける機会があった。その際僕はパレスチナ問題を彼等に問うた。すると僕達よりも一世代上の2人は何かスイッチが入ったようにイスラエル、ユダヤ人に対する怒り、アラブの正統性を論じ始めた。さらには、彼等の間でも意見の違いで激しくもめる。2人共博識ある穏やかな方々だっただけに衝撃的であった。「仲良くすればイイ」で片付けられない、この問題の深さは想像を遥かに超えていた。そしてさらに、「平和は来ない。」現地コーディネーターはこうも言い切った。

「平和」という素晴らしい挨拶の言葉を持ちながら、それを諦めてしまっている。こんなにも悲しいことがあるだろうか。この深い問題のど真ん中にいる彼にこう言われてしまっては僕もそう思わざるを得ないのか。僕は絶望しかけた。

しかし、そんなことはなかった。
平和を求め、また歴史に縛られない若い世代の力強い声があったのだ。

席を同じくした娘さん、彼女は大学に通い熱心に勉強している。そんな彼女の頭の中にあるビジョンは父親世代とは全く逆の、非常に前向きなものであった。多くの難民を抱えるヨルダンに関して、「難民問題を解決し、彼等を救うためにも平和な世界を作りたい。」彼女はこうはっきりと語ったのだ。

さらにはアンマンで出会った地元の女子中学生達。ムスリムの女性はとても控えめであり、街にいても声をかけられることはまずない。そしてまた、身内以外の男性との関わり合いというものを極力避けるのが常である。しかし、そんな常識も変わりつつあるのかもしれない。彼女等は男の僕を連れて女子校に連れて行ってくれたのだ。「僕は男だけど大丈夫⁇」と言ったが「大丈夫、大丈夫。」と是非見て欲しいと言わんばかりの笑顔で学校を案内してくれた。こんな積極的なムスリムの女性は初めてだった。

僕は、古くからの型にはまらない、何か新しい力が動き出しているような気がしてならなかった。そう、決して平和を諦めず、全く新しい伝統へ向けて動き出す若い力を。

السلام عليكم

あなた方の上に平和がありますように

【文責:7期 野田一慶】