ツクロワナイ

外国に行って何日かたつと、その国のルールというか、
なんとなく暗黙のうちに共有されている「生きるわざ」のようなものが見えてくる。

中国のそれは「つくろわない」ということ。

ニコリともしないタクシー運転手。
ちゃっかり自分も食事をしながら接客する飯屋の店員。
周りの目も気にせず列に横入りしてくる男。
満員電車のなかスマホで音楽を流し、幼い娘に歌わせている母親。

どれも日本で見たら顔をしかめてしまうような光景ばかりだ。
しかし中国にいると不思議となんとも思わない。
周りでそれらの光景を見ている人もまったく気にしていない様子だ。

人ってそんなもんじゃん、気ままが一番!ワガママバンザイ!と、
その寛容とも無関心ともいえる環境に、私も思いっきり甘える。

屋台の先頭に分け入り写真を撮り、しつこい商売人には遠慮なく顔をしかめる。
沈黙をうめるための会話をやめ、気まずさを和らげるためのつくり笑顔をやめる。

無意識に自分をつくろっていた鱗が、ゆっくりと、はがれる。

自由とはかけ離れた印象の国で、私は自分をつくろうことをやめ、
こんなにも自由で、素直だ。

和式ばかりのトイレに、急に冷水が飛び出すシャワー。
空が灰色に霞む日も少なくない。

決して住みやすいとはいえないけれど、中国は、生きやすい国だ。

【文責:8期 小嶋熙】

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消えゆく灯火

その男は、 仰向けになり、横たわっている。

瞳を閉じ、深く呼吸をしている。

怯えているのだろうか、覚悟を決めたのであろうか。

空疎な時間が過ぎていく。

次の瞬間、仰向けになった男に一点の火が灯る。

彼に着火した者は友人であろうか、親友であろうか、或いは、肉親なのであろうか。

どんな気持ちを抱いて着火したのであろう。

嗚呼、男はみるみる燃えていく。

数秒もすると男はあまりの痛みに耐えられなくなり、発狂しながら走りだす。

そうして、力なく倒れる。

倒れた男を目掛けて一斉に消火が開始された。

鎮火された男の皮膚は焼けただれ、目は潰れ、生命力などそこにはもう微塵も無かった。

彼の周りで人々は悲しい顔をしている。呆然と立ち竦む者、この気持ちをどうして良いのかわからなくて、泣き叫ぶ者。

悲しみと怒りと、そして虚無感で空間は満たされている。

彼は焼身して幸せになれたのだろうか。

あるいは、彼の死は、人々を幸せにすることができたのであろうか。

―――――――――――――――

私は去年に中国を周遊した経験もあり、とても中国にポジティブな感情を抱いている。だがやはりそこには問題があり、民族問題もその一部であると感じる。また、単民族国家である日本人が、多民族国家である中国について理解を深めることは非常に意義があることではないかと感じ、今回はこのような経緯でチベットに訪れた。

西寧という中国の地域から22時間程列車で移動した所にチベットの首都ラサがある。蛇足であるが、この鉄道から見る夜空は文字通り神秘的だ。標高5000mを通過するこの鉄道の周辺にはもはや妨げる建造物や街灯など存在しない。ダイヤモンドみたいにキラキラ輝く満天の星空と、UFOの軌跡のように横走っていく流星。漆黒の空に散りばめられた宝石たちに対する無類の感動に加え、とうとうチベットに行けるのだという喜びとが相まって、私はその夜、高鳴る胸を押さえながらやっとの思いで瞳を閉じた。

だが、到着したチベットは私がイメージしていたチベットとは少し違ったようだ。まず、私がラサに対して抱いた第一印象は「ここは中国だ。」という印象である。街を歩けば赤い国旗がはためき、中国語で溢れていた。近代的な建物も多く建築されていた。神秘的な宗教観もそこには存在していなかった。赤い袈裟を来た僧侶がスマートフォンをいじっている。チベット仏教を代表する寺院では、巡礼するチベット人と、写真をパシャパシャ撮る観光客でいっぱいになっていた。また、ラサの街には悲壮感など微塵も感じられなかった。私が現地人に微笑むと、白い歯を見せて手を振ってきてくれる。外では子供がボール遊びをしている。人々は寺院で好きなだけ祈りを捧げ、暇さえあればビールやタバコを愉しんでいた…。

なぜこのようにのんびりとチベット人が暮らしているのか不思議に感じたが、後の話によると、2008年のラサでの大規模な暴動をきっかけに中国政府はチベットに対して宥和政策をとるようになったそうだ。農村部の人々に対しては教育費の無償化を行ったり、娯楽を享受できるように手配している。チベット語を使用することに対する規制も緩和されてきた。また、チベットの人々の生活水準は確実に上がってきており、穏やかな雰囲気が街を包んでいた。

それだけに今回のチベットの滞在を終えて、私は何が正解なのか分からなくなってしまった。私がイメージしていた、“中国政府がチベットを圧政し、人々はその下で生活を制限されている”といった単純な構図では無かったからだ。

だが、この中国政府の懐柔政策にはある戦略が見え隠れする。単純に言えばチベット人の“アイデンティティー”を風化させる戦略だ。チベットでの教育は中国政府の管轄の下行われる。また、安い酒やタバコを中国からチベットに仕入れ、嗜好品でチベットを満たしていく。そうする事で、チベット人の頭が賢くなりすぎる事を制限しているのだ。また、インフラ整備などの政府の政策により、人々は生きている事に危機感を感じなくなる。当然生きることに危機感を感じなくなれば暴動も起こし辛いであろう。

このように現在のチベットは少しずつ、でも着実に赤色に染ってきている。悲しいかな、チベットを赤い大国から救う事で利益を得る者は少ない。それ故、今後もチベットはどんどん赤くなってゆくであろう。

私たちは、チベットの伝統や文化を消えていくのをこのまま見る事しかできないのだろうか。身を焼いたあの男の、魂の叫びは、無駄であったのだろうか。

 

【文責:7期 長内椋】

「平和」なのに「幸せ」になれない街

「幸せって何ですか?」

この問いかけは様々な場面で出会う。
この質問にはっきりと答えることができる人はどのくらいいるだろう。

私は笑っていられる瞬間が幸せだと思っていた。

チベット自治区で暮らす多くの人たちが笑顔をたたえながら生活していた。
街の中を巡礼する人々、マニ車を回しながら歩く人々、お寺に向かって五体統治をする人々。
街で聞こえてくるのは中国語ではなくてチベット語。
人々は時間があれば外でお酒を飲みながら「ピクニック」をしている。
争いの気配はなく、街の雰囲気はあまりに平和だった。

「あれ、もしかして彼らは今、幸せなのだろうか?」

悲壮感なんてどこにもない。
今この瞬間を仲間と一緒に楽しむ幸せそうな顔しか見られない。
すっかりチベット人が亡命する理由を見失ってしまった。

しかし、私は思い出す。ラサの街に着いたときの衝撃を。
街には鮮やかな赤色の中国国旗が溢れかえっていた。
チベットと聞いてイメージされる神秘的な雰囲気はどこにもなく、目の前に広がるのはどこにでもある整備された綺麗な街だった。
道路の向かい側には建設中の大きな建物が見える。
そして街中でわざとらしいほどに強調される「祝自治区成立50周年」の文字。

どこにいても中国の存在感を感じずにはいられないのだ。
嫌悪感しかない。
チベットが中国の一部になっているのだということを実感した瞬間であった。

なぜ人々はこんなにも穏やかに暮らせているのだろう。街は嫌というほど違和感で満ち溢れているのに。
その一方で、なぜ人々は自らの命を投げ出すリスクを背負いながら亡命してくるのだろう。平和な環境が保証されているのに。
なぜ、なぜ、なぜ。
幸せそうに見える彼らの姿は、チベット問題が何を意味するのかをわからなくさせた。

そんなときに街で出会ったチベット人の一言が胸に突き刺さる。
「漢人ハ他ノ外国人ト絶対ニ違イマス。」
彼の言葉はチベット人が抱く中国への本当の思いに気づかせてくれるのに十分だった。

ーーーーーーーーーー
ダラムサラで、あるチベット人は言った。
「チベットで暮らすということは、牢屋の中で暮らすようなものです。」

彼の言葉は、亡命の本質を簡潔に、かつ的確に突いていた。
人間が本来持つべき権利を持っていないということが何を意味するのか。
生まれながらにして一人の人間として尊重されてきた私は、自分が思ったことを自由に発信できないことがどんなに辛いものなのか想像できていなかった。
「平和」ではあるけれど決して「自由」ではないチベットの街が頭をよぎった。

街のあちこちに飾られるダライ・ラマの写真。
カフェで警察がいないかと、警戒することなく自由に話をする人々。
もちろん「民族万歳」のスローガンはどこにもなく、押し付けられた中国国旗も見当たらない。

これこそ、本来あるべきチベットの姿だ。
彼らは別に中国からの独立を要求しているわけではないのだ。
彼らが求めているのは「自由」、ただこれだけなのである。

ーーーーーーーーーー
チベットの街はとても「平和」だ。
青い空が広がり、その下ではタルチョが昔と変わらず風になびいている。
人々は心の中で法王を慕い、仏を敬い、優しさと強さを忘れずに暮らしている。
この街に自由が訪れたらどんなに素晴らしいことか。

ああ、平和な街が「幸せ」で満たされるのはいつになるだろう。

【文責:8期木下真紀】

知ること

「なんで中国なんて行くの?」

春休みに中国に行くと話すと、大抵はそう返ってきた。

私はすかさず、
「別に中国にすごく行きたいって訳じゃないんだけど、日中関係とか…知りたいから。」
と、なんともよくわからない言い訳をしていた。
なぜ、そんな言い訳をするのか。それは私が中国を好き、と思われることを避けていたからだ。日中関係が悪化しているこの時代に、中国が好きなんて変わってる、変だ、そう思われるのが怖かった。

中国では、たくさんの人と話した。好きな音楽、オススメの本、恋愛の話。
外国人が日本を好きと言ってくれることに私たちが喜ぶのと同じで、彼らは「中国のこと、好き?」と期待まじりに聞いてきた。
それは日本で大学の友人と話すのとなんら変わりはなかった。
親切な人、感じの悪い人、真面目な人、不真面目な人、様々な人がいた。
日本と同じように。

勿論、会話の中で安易に口にしてはいけないことや領域、ぶつかり合う主張は多くある。しかし、どんなに関係が悪い国同士だとしても、人と人との交流の中にそれを持ち込もうとする人間に、少なくとも今回の旅で私は出会わなかった。
なぜなら、彼らがしっかりと理解していていたからだ。自分の国のことも、相手の国のことも。知っているからこそ、ちゃんと向き合えるのだ。

もっと知らなければならない。そう思った。メディアに流され、人に流されて、曖昧なままに相手を嫌がっていたのは自分だったことに気づかされた。

もし、また中国へと旅に出て、なぜ中国に行くのかと聞かれれば、迷わず答えたい。
「中国が好きだから。」と。

 

【文責 島田夏海】

夜に、歌えば

戦いを繰り返した人類の歴史の中には、時に心うつエピソードがひょっこり現れたりする。

クリスマス休戦、なんてものもあった。 1914年、第一次世界大戦時の 12月24 日。争いあうドイツ軍とイギリス軍が、聖夜を祝うため武器を捨てた。停戦中、両軍は戦死者の合同埋葬を行い、祈りをささげたという。僕の生きる現代の日本は、戦争とは無縁で平和の限りで、そんな歴史は素敵な昔話のように聞こえる。ただ、対立が深刻化する国際関係は今も無数にあるだろう。日本にとっては例えば中国。隣国の対日感情は悪化し、日本人も9割以上が中国に対して良い印象は持たないそうだ。

僕がこの春訪れたのは、そんな日本と中国がかつて激しく争い、紅く血に染まった場所、南京だった。南京事件をご存知だろうか。70年前始まった中国との戦争。日本軍は南京を占領し、その過程で女性や子どもを含む一般人を大量に虐殺した。今の南京にはその大虐殺事件を後世へと語り継ぐ、記念館が存在する。僕は知り合ったばかりの南京大学生とその記念館を見学した。おぞましい数の展示は過去の残虐な行為を、重たく語り続けていた。鈍く光る照明に照らされた、荒れ果てた街の様子、恐怖に溢れた市民の声、日本軍の笑い顔。僕は、はじめ声が出せなかった。驚きもしたがそれ以上に自分が日本人だと周りに気づかれるのが恐ろしかった。共にまわっていた大学生から離れ、僕は1人で必死に展示を見つめていた。後で聞いたところ、彼が来るのは3回目だという。彼の出身はもっと西の地方。大学生になる前から訪れているのだろうか。

よく日本では、南京虐殺の犠牲者の総数が議論される。「300000」という数字がこの記念館にはよく出てくる。「実際にはそんな殺されてなかった」「正式な書面上ではもっと少なかった」、そんな議論を耳にしたことがある人も多いだろう。でも僕には単なる数字よりも、虐殺があった事実そのものが何よりも重いものであると思う。当日は平日でありながら、記念館内には人が溢れていた。ここを訪れる中国人全員が残虐の歴史を共有している。数字以上にその過去を、心に焼き付けられている。

中国の人は皆、歴史を大切にしているようだった。中国3000年の歴史。数多くの王政が栄枯盛衰を繰り返した歴史。アヘン戦争から続いた侵略された歴史。繁栄と挫折を重ねた現代の歴史。旅先で出会った、服飾を学ぶ可愛らしい女子大生は日本のアイドルが大好きだった。そんな彼女も「中国の学生は歴史をとても真剣に学びます。過去の出来事を学び、現代に活かせることは数多くあるから」と、習ったばかりの日本語で僕にそう語りかけた。

僕は中国に興味がある。日中関係に興味がある。でも、南京虐殺での被害者の数は何人であるはずだとはっきりとは言えない。歴史に対して意見を持っていない。歴史から学んだことを自分自身に還元してはいない。そんな自分自身に、僕はなんともいえない憤りを感じた。

夜、記念館を後にした僕らは共に食事をし、ホテルへの帰り道を歩いた。今日を共にした彼が、耳覚えのある歌を口ずさんでいた。

“今宵は百万年に一度 太陽が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも 今宵は休戦して祝杯をあげる”

日本でも流行した SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」だった。熱心なセカオワファンである僕は嬉しくなって、一緒に歌い始めた。

この曲の歌詞は、前述したクリスマス休戦を由来にしたとも言われている。今から70年ほど前は血塗られた戦いの地だった南京で、僕らは日本の J-POPを高らかに歌い合っていた。

歴史は過去の事実だ。実際の数字とか細かいところは不確かだけど、確かにそこにあった人間の過去。日本にとっては反省すべき過去。忘れることは決して許されない。

ただ、僕らは過去を乗り越えることができる。武器を捨て、共に飯を食べ、酒を飲み、笑い合える。僕は彼らのことをもっと知りたいと思った。彼らが大切にしている歴史をもっと学びたいと思った。終わりのこないような対立なんてさっさと終わらせて、心から歌を歌いたいと思った。

南京の夜は旧正月であることもあって、遅くまで賑やかに灯りがついていた。僕はその灯りがいつまでも消えないといいな、なんてちょっとクサいことを考えていた。

 

【文責:6期 臼井健太】

自由

自由。中国という国に対して、この言葉と反対のイメージを持つ人は多いかも知れない。

実際そうだ。間違ってないと思う。
中国へ行くのはこれで3度目になるが、過去2回の旅でこの国が自由だなんて思ったことは一度もない。
今回もその統制の厳しさは幾度となく感じた。
だけど、旅を終えたいまの私は、「中国には自由がない」と言い切ることができなくなっている。

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母はバリバリのキャリアウーマン。中高女子校。
女子中心の世界を生きてきた私は、大学でのいわゆる普通の生活に違和感を覚えることが多い。
サークルの役職に就くのは男子。何かと前に出て発言するのも男子ばかり。
良く言えばシャイなのかもしれないが、女の子は控えめでモジモジしているように感じる。
大学生になりたてのときはそれがすごくショッキングだった。

今回の旅では現地の大学生と話をする機会がたくさんあった。
中国の女の子たちはとってもパワフルだ。自信があって堂々としている。もちろんその自信は日々の学びの結晶でもあるのだろうが、みんな自分の考えを持っていて、ハッキリと意見を言う。
日本の文化や政治についてストレートに疑問を投げかけられ、ビックリしてしまうこともあった。
けれども彼女たちの遠慮のない態度を前にして、まわりのことを気にしていた自分が急にバカらしく思えてきた。なんかちょっぴり損した気分になったりもした。
それと同時に、もっと自分らしく振舞っていいんだと思えた。ありのままでいいんだと。

旅中そんな気持ちになったことがほかにもある。

街の中国人の態度はすごくぶっきらぼうで恐い感じがする。
暇な店員はスマホをいじったり、おしゃべりしてたり。
それとなにより、みんな声がでかい。
切符を買おうと私が駅員さんに小さな声で話しかけると、ものすごく大きなそして無愛想な「あぁ?」が返ってきたときは心底ビビってしまった。
でもふと気付いた瞬間、それが人間としてごく自然な態度に思えてきた。
だってお客さんがいないときくらい自分の好きなことをしていたいし、人ごみで小さい声で話しかけられたらイライラしてしまう。
日本の丁寧な接客は気持ちのいいものだが、それが当たり前の世界ってちょっと窮屈だ。
だから、中国にいると肩の力が抜けて楽になる。ここでは気を張らなくていいのだ。

統制国家、中国。不思議なことにそこに生きる人々の振る舞いには自由を感じる。
わたしの心は、この国でゆっくりとほどけていく。
そんな自分に気付いたとき、はじめてこの国にまた来たいと思えた。
【文責:7期 壽真里】