疑惑の島

みなさんは、地中海の東側に浮かぶ島、キプロス島という島をご存知でしょうか?

この島は、ヨーロッパでも随一のリゾート地として有名で、地中海の美しいビーチを求めて、夏の休暇になると、多くの人々がこの島に訪れます。

しかし、そのような多くの観光客は、島の北側には足を踏み入れることはありません。

キプロス島は、1960年、イギリスの支配下から抜け出し、独立を果たしました。

元々、この島にはトルコ系キプロス人とギリシャ系キプロス人が住んでいました。
1960年の独立後、二つの民族が住む複合民族国家としてキプロス共和国はスタートしました。
民族構成は80%ギリシャ系で20%トルコ系でした。

初めは仲良く二つの民族が共に暮らしていました。
しかし、権益などに関する両系民族の争いが深刻になるにつれ、キプロス島は不安定な情勢になっていきました。
国連平和維持軍が仲介に入るほどになってしまいました。

そして、1974年、ギリシャ系キプロス人の大型テロにより、キプロス島内で大きな紛争が勃発します。
キプロスのギリシャ併合を強く望むテロ組織EOKAが当時のキプロス政府の中道路線に反対し、各地でテロ行為を行いました。

危険にさらされたトルコ系住民はたまったものではありません。
そこで、トルコ系キプロス人の保護という名目で本土トルコがキプロス島に軍を送ります。
そして、トルコ軍がキプロスの北側を占領してしまいました。

その時から、キプロス島は南北に分断されたままです。
北側にトルコ系住民、南側にギリシャ系住民が住んでいます。

今現在、北キプロスは国として独立を果たそうとしています。
しかし、北キプロスは今でもトルコ軍が支配していることになっているので、トルコ以外の国は北キプロスを国として認めることはありません。

一方、南キプロスは正式に国として認められており、EUに加盟しています。
欧州からの観光客は多く、貿易や投資も盛んです。

従って、南キプロスに来た観光客は北を訪れることはほとんどありません。

このことから、北と南の経済格差は広がる一方です。

南はヨーロッパの街並みが広がっている一方、北は活気がなく廃墟が広がっています。
北キプロスは国際的に孤立を深めるばかりです。

そんな中、2004年に両系住民による国民投票が行われました。
それは国連のプランで、キプロス共和国の統合を目指すものでした。

この際、北のトルコ系キプロス人は統合に対し、賛成が多数でした。
しかし、南のギリシャ系キプロス人は反対が多数でした。
よってこの統合案は可決されず、キプロス島は今でも分断されたままです。

南北の経済格差が広がり、国際的に孤立する北キプロスが今後、東アジアの北朝鮮のような脅威になることも考えられます。
人口が70万人で四国の半分ほどの大きさのこの島で、50年間ほど問題が解決されずにいます。

今回の渡航では島で一体何が起きているのか、両者の食い違う意見、平和を望む彼らの声を自分たちで見、聞き映像に残したいと思います。

実際に現地に行き、分断問題を肌で感じ、それを持ち帰り、ドキュメンタリー映画として、日本で上映します。

トルコ系キプロス人、ギリシャ系キプロス人がそれぞれどのような思いを抱いているのか。”今”キプロス島では何が起きているのか。平和構築のあり方とは。

そのような事を今回のスタディツアーで映像に残せたらと思っています。

【文責 渉外局二年 小長谷謙治】

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THE LAST DIVIDED CAPITAL

この日は朝からみんな緊張していた。
イスタンブールから空路を使ってキプロス島の北に入る。
それからニコシアで、グリーンラインと呼ばれる南北キプロスの境界線を南へと超える日だ。
ニコシアはキプロス共和国の首都だが、キプロス島を南北に分断するグリーンラインはその街の真ん中を通っている。

北キプロスに降り立ってから境界線付近に到着するまで、タクシーの窓からほとんど廃墟のような家や、工事中のまま放置された建物がまばらにある、人のいない荒地を見た。
トルコ国旗と、北キプロス・トルコ共和国の国旗が大きく描かれている山も見える。

境界線を超えるのは簡単だった。
銃を持った兵士の絵と撮影禁止のマークが描かれた看板にびくびくしながら、小さな窓口に恐る恐るパスポートを差し出したけれど、おじさんは私達をすんなり通してくれた。
それは本当に思っていたよりずっと簡単すぎて、自分が一体いつどこでその境界線をまたいだのか分からないくらいだ。
こんなもんかぁ、と半分拍子抜けする。

それでも、南キプロスに入ればメインストリートにはマクドナルドがある、スターバックスがある、ケンタッキーもある。なんでもある。一歩裏道に入ればれんが造りの美しい路地がある。

その日泊まったホテルも、小さな共同キッチンのあるかわいいホテルで、狭い階段を1番上まであがると、れんが造りの屋上があった。

その屋上からも、あの山ははっきりと見えた。そこに描かれた赤と白の旗も。

ここは紛れもなく、“THE LAST DIVIDED CAPITAL”だ。

かくして、世界最後の分断された首都ニコシアから、謎がいっぱいのキプロス島を巡る旅が始まった。

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人間らしく( ´ ▽ ` )

東欧ウクライナで反政府デモが起こり、政権が転覆した。

しかし、すんなりと国は大きく変わらない。

多くのロシア系住民とウクライナ系住民が住むクリミア自治共和国の帰属問題が浮上してきたのである。

ウクライナから完全に独立するのか、ロシアに併合するのか、もしくはウクライナ内での自治を強めるのか、様々な選択肢が、クリミア自治共和国民には与えられる。

ここで、戦略的要所を抑えたい考えなのか、ロシアがクリミア半島への軍の派遣を決定した。
クリミア自治共和国の人々が決めれば良い国の将来に大国ロシアが介入してきたのである。
ロシアは、「ロシア系住民保護のための軍事介入である」と言う。

戦略的要所に位置する小国の問題に大国が介入すると、ろくなことは起こらず、悲しい結末を生むことが多い。

今、私が滞在するキプロス島がそうであった。

トルコ系とギリシャ系のキプロス人が住むキプロス島は、1960年にイギリスからの独立を果たし、両系民族が混合して居住する複合民族国家としてスタートした。

しかし1974年、一部の過激なギリシャ系住民が中道路線を敷く政権に対してクーデターを起こした。

その際、大国であるトルコは「トルコ系住民の保護のため」にキプロス島への軍事介入を決定した。トルコは、クーデター後のギリシャとの平行線をたどる対話に耐えられなかったのである。

そこから、トルコ対ギリシャの構図の紛争がキプロス島を舞台に勃発した。

その当時から今現在に至るまで、トルコ軍は「トルコ系住民の保護のため」に、戦略的要所であるキプロス島の北部に駐留を続けている。

どんな言い訳をしても、1974年に軍事介入をしたのはトルコである。

そこから、キプロス島は南北の格差が顕著となり、同じ「キプロス人」の間に大きな壁が生まれてしまった。
「キプロス人」は被害者と言っても良い。

いわゆるこれが40年間未解決の南北分断キプロス問題である。

さて、今のクリミア半島はどうなるのであろうか。

国民投票をして解決すればよいことにロシア軍が介入した。

もし、クリミアでの国民投票の結果、ロシアへの併合が決まったらロシアは多いにクリミアに介入すれば良い。ロシア軍を駐留させる権利も生まれる。

しかし私は、国民投票を待たず軍を介入させることにより、今度はクリミアで悲しい歴史を生むことになるのではないか、と危惧せざるを得ない。

「保護」という目的であれば、軍事介入をしても良いのか。考える必要がある。

そこには全く人間らしさが伺えない。
人間は、相手と「対話」を通して考え、互いを暴力で傷付け合うことなく問題解決できる動物ではないのか。

私は、政治家でもないし軍人でもないから、内部のことはよくわからない。内部には「社会の壁」があるのか、妥協できない何かがあるのか。それは、私のような、社会に出ていない一学生にはわからない。

「それらのこと」がわからない幸せな今だからこそ、
学生という、理想論を並べていてもどうってことない今だからこそ言いたい。

対話が必要だ。

2014.03.02

【文責 小長谷謙治】