「今」が「過去」になる前に

数ヶ月間食事をとっていないと思われるほどガリガリに痩せ細った男性が、力なく横たわった状態でこちらに視線を向けている。

イスラエルにあるヤド・ヴァシェム*に飾られた「過去」の悲惨な光景を写し出した一枚の写真。

私はその写真の前で足を止めた。

―そこに広がる光景に、なぜか見覚えがあった。

* * * * *

ヨルダンの首都アンマン。

この街にはシリア紛争から逃れてきた”シリア難民”と呼ばれる人々が多く住んでいる。

 

紛争が始まってから三年間、メディアに煽られ他国の利害に左右され続けてきた中東、シリアの人々。

―もう疲れた。戦争はやめたい。

そう思ってももう後戻りをすることは出来ない。

あまりに多くの犠牲を払い続けてきてしまったから。

ある人が「家族、親戚、または知人が殺されていない人なんて一人もいない。」と言った。

そして今日も殺し合いは続いている。

 

この紛争で生み出された”難民”の数は過去最大。

ヨルダンに逃れた”難民”の数は約60万人*。

この「60万」という”数字”に置き換えられた一人一人の姿をあなたは想像することが出来るだろうか?

 

ガリガリに痩せ細った腕で赤ちゃんを抱き、力なくこちらに視線を向ける女性。

娘は殺されて妻の行方はわからないと嘆く男性。

おじさんは銃で撃たれて死んだ、と悲しそうな表情を見せる少年。

シリアで負傷して仕事が出来なくなってしまった男性。

学校に通わず一日12時間働いても3JD(約420円)しかもらえないという少年。

 

ある男性は、昨日まで大学の教授をしていた。

またある少女は、昨日まで学校に通っていた。

―昨日までの当たり前が今日も明日も当たり前に続く、とは限らない。

 

良くも悪くも”平和ボケ”した私たちには想像し難いが、全ては「今」世界の裏側で起こっている、現実なのだ。

ヤド・ヴァシェムに飾られた「過去」の写真の数々を見て、「過去」も「今」も変わっていないように思えて仕方なかった。

ガリガリに痩せ細り力なくこちらに視線を向ける写真の中の男性と、痩せ細った腕で赤ちゃんを抱き力なくこちらに視線を向けるシリア難民の女性。

―彼らは何が違うの?「過去」と「今」の間で、何が変わったの?

 

「過去」を”忘れない”ことは大切だ。

しかし世界の裏側で苦しむ人々の「今」に背を向けて、「過去」になってから”忘れない”というのはあまりに無責任ではないだろうか。

 

* * * * *

 

―「今」が「過去」になってしまう前に、私に出来ることって…?

 

私は写真の中から力なくこちらに視線を向ける男性の前からしばらく離れることが出来なかった。

 

*ヤド・ヴァシェム

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって虐殺された約600万人のユダヤ人を慰霊する目的で建てられた博物館。

 

*ヨルダンに逃れたシリア難民の数、約60万人

正確には587,308人(2014/3/23 UNHCRデータより)

難民登録されたシリア難民の数 2,538,110人

http://data.unhcr.org/syrianrefugees/regional.php

 

2014.03.25
【文責:マネジメント局1年 田中千晴】

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「こんにちは」

アッサラーム アライクム السلام عليكم
サラーム سلام

ヨルダンの街で飛び交うこれらの言葉、一言で言えば「こんにちは」である。しかしこれらの言葉の本当の意味を考えてみたい。

アッサラーム アライクム 「あなた方の上に平和がありますように」
サラーム 「平和」

こんなにも温かく優しい挨拶の言葉が中東では使われているのだ。

アラブ圏ではなく中東である。ユダヤ人の住むイスラエルで使われる「こんにちは」も

シャローム שלום 「平和」

なのだ。

しかしアラブとイスラエルにはパレスチナという土地をめぐる長く続く対立がある。この対立で多くの命が奪われ、また、イスラエルにより奪われたこの土地から数多くの難民が生まれているのだ。

僕はそんな世界に生きる現地の人々の声を聞きたかった。

ある時、ヨルダン人の現地コーディネーター、彼の友人、その友人の娘さんの話をじっくり聞ける機会があった。その際僕はパレスチナ問題を彼等に問うた。すると僕達よりも一世代上の2人は何かスイッチが入ったようにイスラエル、ユダヤ人に対する怒り、アラブの正統性を論じ始めた。さらには、彼等の間でも意見の違いで激しくもめる。2人共博識ある穏やかな方々だっただけに衝撃的であった。「仲良くすればイイ」で片付けられない、この問題の深さは想像を遥かに超えていた。そしてさらに、「平和は来ない。」現地コーディネーターはこうも言い切った。

「平和」という素晴らしい挨拶の言葉を持ちながら、それを諦めてしまっている。こんなにも悲しいことがあるだろうか。この深い問題のど真ん中にいる彼にこう言われてしまっては僕もそう思わざるを得ないのか。僕は絶望しかけた。

しかし、そんなことはなかった。
平和を求め、また歴史に縛られない若い世代の力強い声があったのだ。

席を同じくした娘さん、彼女は大学に通い熱心に勉強している。そんな彼女の頭の中にあるビジョンは父親世代とは全く逆の、非常に前向きなものであった。多くの難民を抱えるヨルダンに関して、「難民問題を解決し、彼等を救うためにも平和な世界を作りたい。」彼女はこうはっきりと語ったのだ。

さらにはアンマンで出会った地元の女子中学生達。ムスリムの女性はとても控えめであり、街にいても声をかけられることはまずない。そしてまた、身内以外の男性との関わり合いというものを極力避けるのが常である。しかし、そんな常識も変わりつつあるのかもしれない。彼女等は男の僕を連れて女子校に連れて行ってくれたのだ。「僕は男だけど大丈夫⁇」と言ったが「大丈夫、大丈夫。」と是非見て欲しいと言わんばかりの笑顔で学校を案内してくれた。こんな積極的なムスリムの女性は初めてだった。

僕は、古くからの型にはまらない、何か新しい力が動き出しているような気がしてならなかった。そう、決して平和を諦めず、全く新しい伝統へ向けて動き出す若い力を。

السلام عليكم

あなた方の上に平和がありますように

【文責:7期 野田一慶】