旅する自由

オーストラリア、マレーシア、バングラデシュ、インドネシア、台湾、セルビア、コソボ、マケドニア、アルバニア。
一見すると、無作為に並べられたような国々。
これらの共通項とは一体なんだろう。きっと誰にも分からないはずなので早くも答えを発表しよう。これらはわたしがいままでに訪れた国である。
外国に行きたいと思うとき、わたしが真っ先に懸念するのは金銭問題だ。旅に出るには、お金が必要。航空券も現地での生活費も、すべて自分のお金で払おうとすれば旅行までの何ヶ月間アルバイトを詰め込んで生活しなくてはならない。大学生の長期休みには時間が溢れているから、あとはお金さえあればわたしたちは世界に飛び出せる。これが日本の当たり前。
冒頭でわたしが挙げた国々を覚えているだろうか。思い出してみてほしい。その中にコソボという国がある。わたしがこの夏に赴いた場所だ。先行するイメージは、きっと、紛争だろう。実際に行ってみると、明らかに目に見える紛争の爪痕といえるものはあまりなかったように思える。もちろん、首都を離れて山のほうへ向かえば、紛争で虐殺された人々の墓場があり墓場周辺の一帯は明らかに首都や他のところとは違った雰囲気を帯びていた。しかし、あえてそのようなところに行かない限り、この国で紛争が起こったと感じさせるものには出くわしにくかった。
よく晴れた日のことだった。
“TREAT US FAIRLY”
“WHERE IS MY FREEDOM OF MOVEMENT?”
通りすがりの壁面には、そう落書きされていた。その横にはこう続いていた。
“VISA LIBERALISATION PROCESS FOR KOSOVO”
「コソボにビザの解放を」。コソボがビザに関して何かしらの問題を抱えていることはわかった。この発見の後、コソボの多数派住民であるアルバニア人の大学生との交流会があった。その中の学生の1人が落書きの意味を教えてくれた。
トルコ、アルバニア、モンテネグロ、トルコ。
これらの国に共通することは何か。わかるだろうか。これらの国のみがコソボに住むアルバニア人に許される旅先なのである。この夏、最もショックを受けた瞬間だった。紛争を経て、コソボはコソボ共和国として独立したがその国の存在はまだ国際社会に正式に承認されていない。そのために、このような現状に直面しているのだ。もちろん、虐殺の跡地を訪れたときも、コーディネーターから紛争の歴史を聞いたときも、何度も何度もショッキングな過去や現実を目の当たりにした。でも、わたしはそれらすべてを上回るショックに、その学生の言葉によって直面したのである。それはわたし自身が遠くの日本から来た、まさに「旅する自由」を絶賛満喫中の外国人であったからだろう。お金さえあればどこだって行ける。わたしにとってはそれが当たり前だった。しかしコソボのアルバニア人は、どんなにお金があっても現状では「旅する自由」をあたえられていない。ただ、コソボという国に、アルバニア人として生まれた、というだけで。
世界地図を広げてみる。
アメリカ、インド、メキシコ、モロッコ、ラオス、 ー。
まだまだわたしには行きたい国がたくさんある。きっとわたしはこれからもたくさん旅をする。行ったことのある国が増えれば増えるほど、なんだか世界は小さく感じられる。この感覚は「旅する自由」を与えられた者だけが持てるものなのだろうか。コソボにいるわたしの友達には共感できないものなのか。それはどちらとも言い切れない。ひとつ言えるのは、このコソボ人が「旅する自由」をもたないという現実は、「改善されるべき」問題ではなく「解決されなければならない」問題なのである。
“FREEDOM OF MOVEMENT FOR KOSOVO!”
2015.10.21
【文責:企画局2年 榊汐里】

 

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パシュパティナート

ネパール、パシュパティナート。ネパール最大のヒンドゥー寺院で、観光客が火葬を見学できるところとして有名な場所である。そこで見学した火葬場の様子について書き残したい。

とても濁った川の沿岸に火葬場はある。数人の男たちが白い布で包まれた遺体を運んでくる。遺族らしき真っ白の服を着た人たちによって赤、黄色の粉、花びら、聖水?らしきもの、いろいろなものをふりかけられたそれが、火葬台へと乗せられる。遺体を焼く人が様々な太さと長さの薪をテキパキと組み、徐々に遺体が隠されてゆく。最後に藁がそっとかぶせられ、見える部分は足の先のみとなった。火がつけられブスブスと白い煙が上がり始めた横で遺族が両手で顔を覆って泣いている。とてもつらそうだ。
驚くことにそのすぐ横で楽しそうな笑い声をあげる子ども達がいる。川を泳ぐ孤児たちだ。燃えた後川に流される遺体の遺品を集めて生活しているのだそう。
子供と遺体。
喜びと悲しみ。
生と死。
様々なものが一つの視界のなかに収まって僕は何が何だか分からなくなってしまった。

日本において死について考える機会を持ったことはなかった。日本において死とは悲しく、忌むべきこととして生活から遠ざけられるものだからだ。インドやネパールでは死は身近なものとして日常に存在していた。死について考えても明確な答えは出なかったしそんなものはないのだろう。だがたとえ観光という形であっても死に触れ、考える機会をもつことはきっと必要なのだ。特に日本人には。

体と服にまとわりつくような煙とにおいを回想して僕はそんなことを思ったのだった。

2013.09.27
【文責:渉外局1年 坪井拓斗】

旅の前日 ウイグルに行くとき

あしたから旅がはじまる。
ワクワクしながら、ただちょっとめんどくせーなと思いながら、
でもやっぱりあしたのことを考えると荷造りをする手が早まってしまう。
こどもが遠足に行くときみたいな感じがする。

***

世界地図をながめているとき、「新疆ウイグル自治区」という名前をちらっとだけでも見たことがあるかもしれない。
中国の西のほうに広大な面積をもつ土地で、西遊記の舞台ともなっているシルクロードの砂漠がある。

そのウイグルで、ある不可解で奇妙な事態が起きている。

ある村では、母親が産んだ赤ん坊の8割が体に異変をもって生まれてくる。
ある村では、内蔵に急病が発生し、ガンを持つ者がたくさんでてくる。
ある村では、歩けず話せない障害児ばかりが生まれた。

その異変が起きたときは、その村々の人たちはなにが原因なのかもわからず、ただそれに苦しむことしかできず、最近までその原因を知らなかった。

中国政府が、ウイグルを核実験の試験場にしていたのだ。
1回だけではなく、60回以上も。

拡散された放射能は、福島の原発から漏れた放射能の何十倍もあり、
大多数のウイグル民族が被爆者となり、地獄のような、つらい苦しみをカラダに持った。

実は核実験だけじゃない。

中国政府はウイグル民族に対して徹底的な民族浄化を行う。
ウイグル民族が増えないように「ふたりっこ政策」
電話、ネットのやりとりはすべて監視。
中国政府に逆らうウイグル民族は
逮捕、拷問、死刑。

常にしばられた日常がウイグル人達を追いつめる。

***

ウイグルのことを学ぶとき、「ウイグルがかわいそうなことになっている」というところまでは自分でもわかるのだけど、あまりにも自分には考えられないような世界が、とても遠く感じた。

ただ、とある日本にいるウイグル人の方に話を聞くと、
その人の胸にたまった思いが、目を背けたくなるほど強く伝わってきた。

その人の、怒りと不安とどことなくあきらめた感情が入り交じった顔に、
失礼ではあるけれど、なんだか好奇心を持った自分がいた。
こわい物見たさの好奇心なのか、あるいはあの人と同じ空気を吸ってみたいという好奇心なのかはわからない。

でも、この人たちの怒りと不安とあきらめを、自分の目で見なきゃ、という思いは大きくなったことは確信している。

そしてやっと、あしたから旅が始まる
遠くにはない、でも知らない世界に
自分の目で見ることの出来る好奇心と、ワクワクをつれて。

※「新疆」は「しんきょう」と読む。
 意味は「新しい土地。新しい征服地。」

2013.03.05

【文責 川西慶佑】

答え

二度目のバングラデシュに来た。

去年の夏、バングラデシュに来てTo2Bagプロジェクト(詳しくはこちらへhttp://to2bag.com/)を立ち上げて半年。

バッグを作ってくださっている工場を再訪して
お客さんがバッグを持っている写真を集めたポスターをフィードバックとして渡したり、
ラーマンさんと今後のことについてお話したり、
工場のひとのニーズなどをリサーチしたりした。

わたしは、工場の社長さんであるラーマンさんに、
働いている人はいま何を必要としているのか、尋ねた。
彼の答えは、とてもシンプルだった。

「仕事です。お金がなくては、彼女たちは生活できません。」

何が幸せなのか、という質問には、こう答えてくれた。

「イスラム教では、食べるもの、着るもの、安心して寝れることころがあって
毎日を生活することができていれば、神に感謝します。それが幸せです。」

たしかにそうかもしれない。

なのに、なぜかわたしはそれ以外の答えがほしかった。
会社やお店を運営しているわけでもない私たちは、
悔しいことに次々に仕事をお願いできる身分でもない。
だから、お金がすべてだと思いたくなかった。

しがない学生がたった1000個のトートバッグを作って売ったことは、
はたして本当に意味があることだったのだろうか。
彼女たちの本当の幸せを叶えてあげられているのだろうか。
いわゆる自己満の「国際協力」になっていないだろうか。

答えを探しに来たはずのバングラデシュで、
わたしはもっと、わからなくなってしまった。

けれど、
学校で遊ぶ子どもたちの笑顔、
ポスターを渡したときの工場のみんなの笑顔、
プリント工場で楽しそうに働く人たちの笑顔、
「またバングラデシュ来てくれてありがとございます」
と言ってくださったラーマンさんの笑顔、
そして日本でバッグを買ってくださったお客さんたちの笑顔
・・・

このプロジェクトをしていなかったら絶対に出会えなかった、
たくさんの笑顔。

これが、答えなのかもしれない。

誰かを幸せにすることは、そんなに簡単ではなくて。

結局、どんなことにも
正解、不正解なんてない。

なにもしないことが
わたしにとって唯一の不正解だった。

帰国したら、バングラデシュで出会った笑顔を
ほくほくのうちに日本のお客さんに届けよう。

2013.3.26

【文責:広報局3年 若尾真実】

人と人、国と国

インドとネパールといえば国際的にみると従属的な関係であるというイメージがスタツア前からあった。
一般的に隣国同士は犬猿の仲であるという印象がある。例えば日本と韓国は現在非常に険悪なムードにある。
そして、それは国民にも大きく反映され、日本では反韓、韓国では反日の思想がマジョリティになっている。
インドとネパールにも国際的な力関係がそのまま国民に反映されているのではと思い、それをフィールドワークにおいて肌で感じられると期待していた。
結果は想像以上のものであった。

ネパールでは、インドからの蔑視を強く意識しており、インドに対してはマイナスなイメージを抱いている風潮があった。
しかし、一部からは、インドとネパールはある意味で商業的な関係が成立している、だからお互いがもっと尊重すべきだという意見も聞かれた。
ネパールの人々はインドを強く意識する一方、インドの存在が直接彼らの生活に関わるということから、必要不可欠であるという葛藤があるようだった。
一方でインドでは、ネパールについてはほとんどの人が良く知らない、悪い国とは思わない、と曖昧かつ無難な回答しかなかった。
これは、インタビュアーが日本の大学生だから本音を言わなかったという雰囲気ではなく、単に無知であるということが推測された。
つまり、ネパールの人々のインドに対する思いとインドの人々のネパールに対する思いの温度差が激しいのである。
国際規模で考えれば、絶対的優位な国は劣位な国など度外視し、力関係が均衡し、緊張状態にあることを気にしたり、自分たちよりも強力な国の顔色をうかがうばかりであるのではないだろうか。
一方でネパールのような、大国に従属の関係にあるような国は外交においてはその大国ばかりに力を注ぐため、その分細部にまで問題意識が生まれるし、国民の関心も高いのでは、と思う。
これが解決されるためには大国が小国の声に耳を傾けるしかないと思うが、現状、それは難しいとも思った。

今回のスタツアでインド・ネパールの人々とのコミュニケーションを通じて多くの感銘を受けてきたが、人と接することでそのバックにある国というスケールの壮大な部分にまで自分が足を踏み入れているような気がして高揚したことが忘れられない。
この意識をこれからも大事にしていきたい。

2016.09.28
【文責:広報局1年 竹野健太】

百聞は一見に如かず

飛行機に乗り込んで、ヨルダンという国に旅立つ。

あなたはこの国を知っているだろうか?

残念なことだが、知らないと答える人がほとんどだろう。
この国も世界の中の一つのピース。
それなのにほとんどの”日本人”は
行くこともない、知ることもないのだ。

何も知らないはずなのに
どこかで植え付けられた恐怖の種に
頭の中を上書きされている気がする。
ニュースや新聞から栄養をもらって
思想に深く根付き、簡単にはひっこ抜けない。

長いフライトから解放されて、
少し街を散歩してみる。

はじけるように鳴り出すクラクション。
騒がしい雑踏のど真ん中で
すれ違う人々は笑顔で声をかけてくる。
「Welcome to Jordan!」 「ニーハオ!」 「こんにちは!」
時々間違っているけれど、
かけられる言葉は全て歓迎の気持ちの表れ。
それに応えていくうちに、少し曇っていた
表情と心情は晴れやかになっていった。

シリアの内戦で生み出された難民を
飲み込み続けるこの国は、大事な局面を迎えている。
今、踏み出す一歩は希望への小さな前進か
それとも終わりの始まりなのか。
現状とその未来を、見るため知るためにここに来た。

それなのに私は無意識に警戒していた。
国に、街に、人に、壁を作っていた。
声をたくさんかけてもらって、
笑顔で人と話をしてやっと気がついた。

勉強していたつもりだけれど、
結局何も知らなかった。

自分も”日本人”だったんだなあ。
ふとそう思ったとき、頭の中の根は枯れ
恐怖の種は友好の花に変わった。

2014.03.24
【文責 マネジメント局1年 守屋 和穂】

THE LAST DIVIDED CAPITAL

この日は朝からみんな緊張していた。
イスタンブールから空路を使ってキプロス島の北に入る。
それからニコシアで、グリーンラインと呼ばれる南北キプロスの境界線を南へと超える日だ。
ニコシアはキプロス共和国の首都だが、キプロス島を南北に分断するグリーンラインはその街の真ん中を通っている。

北キプロスに降り立ってから境界線付近に到着するまで、タクシーの窓からほとんど廃墟のような家や、工事中のまま放置された建物がまばらにある、人のいない荒地を見た。
トルコ国旗と、北キプロス・トルコ共和国の国旗が大きく描かれている山も見える。

境界線を超えるのは簡単だった。
銃を持った兵士の絵と撮影禁止のマークが描かれた看板にびくびくしながら、小さな窓口に恐る恐るパスポートを差し出したけれど、おじさんは私達をすんなり通してくれた。
それは本当に思っていたよりずっと簡単すぎて、自分が一体いつどこでその境界線をまたいだのか分からないくらいだ。
こんなもんかぁ、と半分拍子抜けする。

それでも、南キプロスに入ればメインストリートにはマクドナルドがある、スターバックスがある、ケンタッキーもある。なんでもある。一歩裏道に入ればれんが造りの美しい路地がある。

その日泊まったホテルも、小さな共同キッチンのあるかわいいホテルで、狭い階段を1番上まであがると、れんが造りの屋上があった。

その屋上からも、あの山ははっきりと見えた。そこに描かれた赤と白の旗も。

ここは紛れもなく、“THE LAST DIVIDED CAPITAL”だ。

かくして、世界最後の分断された首都ニコシアから、謎がいっぱいのキプロス島を巡る旅が始まった。

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2015夏旧ユーゴスラヴィアスタツア

日本人と中国人
ムスリムとユダヤ教徒
イギリス人とアイルランド人

これらの民族たちは今もなお民族対立を抱えている。
他にも世界ではこうした対立から引き起こされた紛争が起き、そして起こるだろう。

セルビア人とアルバニア人という民族を知っているだろうか?
セルビア人は聞いたことがあるかもしれない。
サッカーもそこそこ強い国で日本とも対戦したことがある。
アルバニア人はどうか。
おそらく聞いたことがある人は少ないのではないか。
ではコソボという「国」を知っているだろか、という問いならどうだろう。
これならば聞いたことがある人が多いのではないか。

コソボ
その「国」は1991年に大きな紛争が起きた地であり、日本人の多くはコソボと聞けば「紛争」という言葉を連想する。それだけ大きな戦いがあり、悲惨な事がたくさんおきた。
コソボはもともとセルビアの一部であり、自治州だった。
しかしながら、そこには多くのアルバニア人が住んでいた。
このアルバニア人達が独立を主張し、セルビアがこれを抑圧したことが紛争の発端である。
現在国連111カ国がコソボの独立を承認しているなか、セルビアは依然として自治州という姿勢を崩していない。
正直なところ、こんな文章ではコソボを巡るセルビア人とアルバニア人の関係を語り尽くすことはできない。それくらい状況は複雑すぎる。

私は今年の春と夏、二度にわたってこのコソボという「国」を訪れた。
はじめの頃の私は未熟で、遠慮なしにこの地に土足で踏み込んでいった。
自分で変えることはできないにせよ、いつかはこの対立は終わるものだと思っていた。
コソボはそのイメージとは違い、一見すると紛争の歴史を微塵も感じさせない場所であった。
首都のプリシュティナには整備された道路があり、立派なビルもある。商店はにぎやかで、いつも人で溢れていた。
しかしなぜだろうか。その場所はどこか暗く、どんよりとした空気を纏っていた。
その原因の一旦を垣間みることが出来る場所がある。
ミトロヴィッツァ。相対する二つの感情が交差する町。
この町には橋がただ昔からずっとそこにあったかのように毅然と存在する。
この町の、橋を挟んだ北側にはセルビア人が住んでいる。つまり、この町にはアルバニア人とセルビア人が橋を隔てて住んでいるわけだ。
セルビア人が橋を渡れば、石を投げられ罵声を浴びせられる。少なくとも彼らはそう信じて疑わない。

ミトロヴィッツァでアルバニア人の友達ができた。
彼は強くセルビア人を憎んでいた。
そんな彼に言葉を投げかける。
「アルバニア人のことは大好きだ。みんな親切で陽気で。でもセルビア人も君らと同じように、みんな親切でいい人なんだ。僕は彼らのことも大好きだ。」
すると彼は心底驚いた表情を見せた。
「セルビア人がいい人?それは本当?信じられない。」
彼はそう言った。
私にはあまりにもこの言葉が衝撃だった。
彼は何も知らなかったのだ。
彼は紛争という歴史が生み出した憎しみだけで、セルビア人を見ていたのだった。本当のセルビア人の姿を知らずに。そしてそれは、セルビア人も同じなのだろう。

しかし、私は彼らではない。
紛争を経験したことはないし、友達を、親を、愛する人を殺されたことはない。
そんな私が「過去は水に流して、手を取り合おう。」などと簡単に言っていいのだろうか。

私には言えなかった。

私は絶望している。
民族の対立が消えることは決してなく、私にはどうにもすることはできないと悟ってしまったからだ。
血で血を洗う惨劇が生み出した憎しみは、そう簡単に消えるものではない。
さらに、多くの場合、そこにアイデンティティや民族、国家など、さまざまなモノが絡む。
その極限までに絡まった糸をほどくことは不可能に近い、と私は思う。

ただ、やはり、本当の姿を見なくてはならないと思う。
「仲良しになれ」とは言わない。「水に流せ」とも言わないし、「握手をしよう」とすら言わない。
「本当の姿を知る」。それだけだ。
それを知った結果、憎しみが消えるなど思っていない。対立がなくなるとも期待していない。
「知ること」に目的などいらないと思うのだ。
だからこそ、知ってほしい。
自分の憎しみの矛先にいる相手のことを。
それで何が起こるかが、誰にもわからないとしても。

私は絶望している。
でも、心の本当の奥深くの、本当の隅っこで、いつかセルビア人とアルバニア人が分り合える日がくることを待ち望む自分がいることもまた、真実なのだ。

2015-11-02

【文責:7期広報局 岡勇之介】

旅の目的

「ワタシニホンゴチョットハナセマス!」

インドはコルカタ。人でごったがえす賑やかな通りでそう声をかけられた。

絶対何か企んでる…

そう思った。インドの旅行記を聞けば、騙された、危険な目にあったばかりだったので、インド人=悪い人々…そんなイメージしか持っていなかった。
だが、彼は1人でペラペラと喋りだし、日本で仕事をしていたという他のインド人に電話までかけだした。彼はどうやらそのインド人に会って欲しいらしい。
半ば強引に彼に連れて行かれ、少し奥まった路地に入った。

やばい…何が目的なんだろう…

猛烈に警戒しながらついて行くと、さっき電話の向こうで話していた、日本で仕事をしていたというインド人がいた。
彼は日本に18年間住んでいるらしく本当に日本語が堪能だった。

「本当に何も買わなくてイイから、とにかく私の店に入って!」

何度もそう唆され、私たちは彼のシルクの店に入った。

そういうことか…買わされる…

そして彼はこう話し始めた。
「みなさん、凄く警戒してらっしゃる。それは当たり前ですよね。インドはみんな騙してくるしね。でも、10分でも私の話を聞いたらわかると思います。私は日本にずっと住んでいて今はインドで日本人に会えたから話したいだけなんです。ただそれだけ。

インドは凄く危険でインド人は悪い人々。そう言われます。私はそれがすごく悲しい。確かにインドには騙してくる人が沢山います。けれど全員がそうなのでは決してない。良い人も悪い人もいる、それは日本だって同じ。
それを、インド人=悪い人々と考えて、すべての人を疑って話さずにいては何も進まない。

話してみて、初めて人がわかる。

例えば、日本と中国だって同じこと。国家間の問題があっても個人個人の人との繋がりはそれとは全く関係ない。

話してみなければわからないんです。日本人は全員が悪い人と思って全く話さずに行ってしまうけれど、ほら、こんな風に10分でも話せば少し相手のことがわかるでしょう?」

その後彼はにっこりと笑って、私たちに温かいチャイを出してくれた。

そうして、はじめに予想していたように無理矢理シルクを買わされたりすることもなく、私達はその店を後にした。

これから彼は、このシルク店の収益で日本人が安心して泊まれる日本風のホテルを建てようとしているのだという。

旅の目的は場所ではなく人なのだと思う。
迂闊について行けば騙されるかもしれない。危険な目に会うかもしれない。
だが、それを怖がってばかりいてはおもしろくない。

2013.9.28

【文責:広報局1年 島田夏海】

国際問題

路地を歩いている最中にメンバーの一人が言った

「なんかディズニーランドみたい」

なるほどなと思った
コンニチハコンニチハうるさい客引きも
ところかまわず地べたで寝るおっさんたちも
馬鹿でかい音でクラクションを鳴らしながら走る車もどこか非現実的だ

でも現実に人はそこで暮らしていて、それが彼らにとっての普通なんだと思う
その普通が僕たちにはディズニーランドのように映る
現実味がなくて夢のようだと
だからくつを履いていない子供を見て、手足のない物乞いを見て、

「大変だ」   「助けなきゃ」   「国際問題だ!」 と叫ぶ

確かに彼らの現状は仮にそれが彼らの普通だったとしても深刻だ
食べるものも満足に食べられず生きるために生きていくような生活なんて誰にも送ってほしくない

でも「貧困」という彼らの抱える問題の本質は彼ら自身にあるのだろうか

言い方を変えよう

彼らの生活と僕たちの生活には何の関係もないだろうか

彼らの、僕たちの生活を生活たらしめているのはこの社会の構造そのものではないだろうか
僕たち自身が望んで消費と発展を無限に求める社会のシステムをつくりあげてきたはずだ
そのシステムが地球のどこまでも食い尽くすような消費を生むと気づいていながら
そしてその上で「より良い社会を作ろう」とスローガンを掲げてきた
世界を蝕む消費を続けながら共存を叫んできた

今すぐ財産を放り出して原始に戻ろうと言っているわけじゃない
苦しむ人々を助けることに文句を言っているわけでもない

僕たちにできる一番最初の、一番簡単なことは「考える」ことじゃないだろうか
発展とは何か、なぜ社会は消費し続けるのか、、
どうすれば僕たちの心は満足するか、どうすれば彼らが満足するか

答えが出るかはわからない
というか出ないと思う
すべての人が幸せであるようにという傲慢で支離滅裂な願いがその根底にあるからだ

それでも僕はすべての人が幸せでいてくれたらなと思う
そうすればこんな面倒なことを考えなくてすむし好きなことをして暮らしていける

インドに行ってそんなことを思った

2012.10.12

【文責 田中 昴】