「発展」

空港からホテルまでのタクシーで、初めて訪れた国の景色を眺めながらする会話と言えば、こんな感じだ。
「思ったより発展してるね」「道がちゃんと補導されてる!」

私たちが今回のスタディーツアーで訪れたのは、東南アジアでも「発展」している方の都市だった。
道路には斜線があるし、ほぼ全てのトイレにきちんとトイレットペーパーがある。整備された道にゴミはほとんど落ちていないし、高層ビルが立ち並ぶ一角もあった。ビルの下から見上げると狭い空が覗いていて、私は「あぁ、日本と同じ空だ。」と思ったのだ。
マック、スタバ、ケンタッキーそして31アイスクリームもある。セブンもファミマも。日本でみた看板がたくさんあった。

発展した国は全部似たようになっていくと思うのは私だけだろうか。同じような高層ビルに、綺麗なトイレに、安くてどこで食べても同じ味のチェーン店。すごくつまらないと私は思ってしまう。

発展途上国では、家も職もなく、先進国では考えられないような原因で死んで行く人たちがいる。そういう人が、安心して暮らせる家と、安定した職を持てるようになる事はもちろん必要だ。けれど、それと先進国のように発展してくことは別物だと思うのだ。
もちろん先進国だからこそ、発展途上国の為に力になれる事はある。だからこそ、発展途上国は先進国を成功例として後を追おうとするし、先進国は発展途上国の発展を口実に、自国のシェアを広げて金を稼ぐいい手段にしているのだ。
こうして「発展」の名の下に、先進国のコピーがどんどんできていく。
こう考えると、果たして「発展」とはいい事なのかと考えている自分がいた。
そもそも、人が人として安心して暮らせる限り、これ以上発展する必要はあるのだろうか。
「あってもなくてもいいけど、あった方が便利」が増えるだけの発展ならば、今後は発展よりも今の技術を何のために使うのかに焦点を当てるべきではないだろうか。

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今回の旅で、私は去年の夏に訪れたインドに何度も思いを馳せていた。全てがごった返しているあの国には、日本や先進国を思い起こさせるものはちっともなかった。発展していないからこそ、その分問題は山積みだけど、インドはインドの色を失わずに生き生きとしていたのだ。だからこそ、私は今後インドがどのように変わっていくのかが楽しみで、あのインド色を失って、先進国のコピーになる姿を絶対に見たくないと思った。

今の私には先進国のコピーにならずに発展した国が、どのようになるのかは分からない。
それでも、この旅でアジア諸国のそれぞれの個性を見てきた私は、コピーではない「発展」がいつかは現実になると確信しているのだ。

【文責:7期 小園杏珠】

ディストピア

ディストピアとは、ユートピア(理想郷)と対立する仮想の世界観で、現実であり得る最悪の社会のことを示している。僕はディストピアにふさわしい世界が現実に存在していたことを知ったので、それについて書こうと思う。

高い塀で囲まれた広い敷地内には、コンクリートの建物がいくつか建っている。一見すると中学か高校の校舎のようにみえる。ただ異様な点があるとすれば、塀の上とそれぞれの階の窓には有刺鉄線が張り巡らされていることだ。不気味なその建物とは対照的に、中庭にはヤシの木が立ち並び、緑が眩しい。

プノンペンにあるトゥールスレン博物館である。わずか30年ほど前にはS-21収容所としてクメールルージュが残虐の限りを尽くしたその場所は、そのままの姿で残っていた。当時の狂気を伝える博物館として。

建物の中に展示された写真、絵は当時行われていた尋問の様子が描かれている。そのあまりの生々しさに背筋が冷たくなった。空気が重く、息を深く吸い込むことが出来ない。人間にここまで非道な行為ができるのか。

クメールルージュが政権を握っていた四年間で総人口の三分の一が殺された。知識人の多くは新国家建設のための協力者として呼び出され、S-21を始めとする収容所に送られ拷問の末に殺された。文盲や農民、子どもだけが、兵士や看守として教育された。

現在、カンボジアで英語を話す年配者はほとんどいない。知識人の半数以上がポルポト政権時代に殺されたからである。虐殺による国力の低下はカンボジアの発展に大きな弊害となった。貧困が絶えないカンボジアには、ポルポトの爪痕が今も残っているのだ。

意外なことに、若い人たちは自分の国で起きたことを深く知らないのだという。学校で教えることもなく、大人たちもあまり多くを話したがらない。

暗い歴史はどの国にも存在する。ひとつの国を知るには、表面だけでなく、裏に潜む暗い歴史を知る必要がある。カンボジアという国を知るには、虐殺の歴史も知ることが必要なのだ。

カンボジアを象徴するのはアンコールワットのような輝かしい遺跡だけではないのだ。かつてこの国を支配したディストピアを忘れてはならない。

独房の中に入り、外の景色を眺めてみた。鉄格子越しの世界は驚くほど静かで、平和だった。

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【文責:7期 久保田徹】

醍醐味

からっとした晴天続きで心底居心地の良かったラオスを飛び立ち1時間程度だろうか、重苦しい雲が隙間なく空を埋め尽くすハノイに降り立った。

じめじめとした空気。鼻につく排気ガスと食べ物の臭い。狂ったかのように鳴り止まないクラクション。原付バイクでごった返す車道。少しでも立ち止まると話しかけてくる売り子。
前日の寝不足が高じたのだろうか。レートの良い換金所を探しがてら街をぶらついただけの数時間で私の頭は痛み始め、五感は悲鳴あげていた。とにかく疲れる街であった。

「つかれた。この街はすきじゃないよ。」
その日の夜、ホテルのベッドに寝転がりながら私は両親にそう連絡をいれた。正直に言うと私はハノイ初日にしてかなり参っており、誰かに愚痴を言いたかった。ラオスの綺麗な空気や田舎の田園のような静けさを、可愛い町並を、予定のないよく晴れた土曜日のような心地よさを偲んでいた。今考えると、所謂カルチャーショックを受けていたのだと思う。

しかし、返ってきた返信は私が予想し、少し期待していたものと大幅に違っていた。
「それが、東南アジアの醍醐味なんだと思うよ。」
私はすっかり納得させられてしまった。確かに私の不快感の原因は今まで日本で経験したことのない、そしてこれからも経験出来ないであろうものたちであった。

その次の日から、私の考え方は変わった。混沌という言葉を具現化したような街の様子や「ハロー」さえ通じない人々の生活に興味を持った。不快感さえ悪くない気もしていた。

醍醐味。そうなのかもしれない。
カルチャーショックこそ、旅の醍醐味なのかもしれない。
一度でも旅に出ると私達は、そのカルチャーショックに味を占めるのだろう。世界地図を見て、私の知らない国に住む人々の生活に思いを馳せる。「カルチャーショック」が、私達を呼んでいるような気がした。

【文責:7期 壹岐惟子】