小さなバンシルー

遮るものが何一つない
一面に広がる真っ青な空。

潮の香りがふわっと漂い、
優しくきらめく透き通る海。

汗をかいたらひと休みのさんぴん茶。

毎年多くの人々が
癒しを求めてこの地へやってくる。

観光地として申し分のない
沖縄へ、私は初めて降り立った。

でもここはただの楽園ではない。
そこには〝歴史″がある。
世界遺産の首里城も
心が穏やかになる民謡も
「めんそーれ」と出迎えてくれる
沖縄の言葉もすべて歴史を生き抜いて今日存在し続けているのだ。

1945年8月15日
第二次世界大戦終戦。
2015年のこの夏、戦後70年。

と、言うことのできない場所が
この沖縄だ。
8月15日に黙祷の放送も流れやしない。
本土決戦を遅らせるために
住民まで巻き込まれ、結果日本唯一の地上戦となった沖縄では
軍の司令部が自決し組織的戦闘が
集結した6月23日が特別な意味を持つ。

時代を遡って明治時代、
明治政府による琉球を日本内部に
取り込む琉球処分が進められ、
その際の首里城の明け渡しで城は荒廃していった。

近代、沖縄の日本への同化政策が
遂行され沖縄方言の撲滅運動にまで発展した。

沖縄の歴史を知れば知るほど
本土に振り回され、踏みにじられた
出来事が後を絶たない。

そしてそれは今も続く。
第二次世界大戦で負けた日本に
置かれた米軍基地は、本土では
大部分が返還されたにもかかわらず

沖縄はあの小さい面積で
現在日本に存在する米軍基地の75%近くを背負わされている。

沖縄の人と談笑するときに
深い意味はなく言われているはずの〝内地の人〟というフレーズを聞くたびに私の胸がチクリとするのは
本土が沖縄に対して現在も続けていることへの後ろめたさをよく
表しているだろう。

そんな思いを胸に抱えながら
辺野古の基地建設反対を訴える
キャンプシュワブ前のテントで
ある男性と出会った。
自分の勝手な先入観でデモをしているから過激な方かと思いきや
落ち着いていて物腰の柔らかい、
自分の親世代より少し高齢の方だった。

「『沖縄大変ですね。』じゃだめなんだよ、沖縄が基地によってさらされている危険は日本全国どこで起きてもおかしくない。これは沖縄の問題ではなく日本の問題なんだよ。」

多くのことについてお話しを聞き、
ずっと気になっていたことを
思い切って聞いてみた。

ー過去からそして現代を通して
本土の人に対する怒りは持ち続けていらっしゃいますか。ー

「怒りというのはね、そんなにないんですよ、日本に復帰して本当に良かったと心から思っています。日本に復帰したから人権だってきちんと保障されたし、今こうやって自由に言いたいことだって言えている。
だからこそね、昔の軍国主義の日本にだけは戻って欲しくないんです。」

そこには基地による自らの日常生活への危惧というよりも、

戦争に繋がることはなんとしてでも食い止めなければならない、
自分が直接関わるのは人間長くて100年ほどだが
自然や後世の人というのはずっと続いていく、それらのために行動していきたいという姿勢が感じられた。

全ての話が終わったとき
食べてごらんと差し出された
小さな丸い果実。
淡い緑色のそれは今まで
見たことのないものだった。

キョトンとする私に
「バンシルーだよ、バンシルー。
えぇっとあれだよあれ、グアバ!」

お店で見かけるとグアバジュースを
頼むことがある私だが、
果物そのものとは
初めての出会いだった。
どうやら皮ごとかじりついて食べるらしい。

かじった瞬間口いっぱいに
広がる爽やかでどこか懐かしい
バンシルーの香り。

本音で話した後のバンシルーは
いつもの沖縄料理とはちょっと
違う味がした。

私は生まれて初めて訪れた
沖縄で何を得られたのだろう。
沖縄の人の気持ちが分かった、
なんて絶対にそんなことは言えない。

でも少しは寄り添えると思う。
思いを馳せることはできると思う。
少なくとも他人事にはしたくない。

初めての沖縄への旅が
そのきっかけになったことは
自信を持って言うことができる。

これが始まりだ。
自分に何ができるのか
考えていくこと、行動していくことがこれからの私の闘いだ。

一筋縄ではいかない問題、
くじけそうなとき
きっとあの日食べたバンシルーの味が私を励ます大きな力になってくれることだろう。

【文責:8期 愛川真由】

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