百聞は一見に如かず

飛行機に乗り込んで、ヨルダンという国に旅立つ。

あなたはこの国を知っているだろうか?

残念なことだが、知らないと答える人がほとんどだろう。
この国も世界の中の一つのピース。
それなのにほとんどの”日本人”は
行くこともない、知ることもないのだ。

何も知らないはずなのに
どこかで植え付けられた恐怖の種に
頭の中を上書きされている気がする。
ニュースや新聞から栄養をもらって
思想に深く根付き、簡単にはひっこ抜けない。

長いフライトから解放されて、
少し街を散歩してみる。

はじけるように鳴り出すクラクション。
騒がしい雑踏のど真ん中で
すれ違う人々は笑顔で声をかけてくる。
「Welcome to Jordan!」 「ニーハオ!」 「こんにちは!」
時々間違っているけれど、
かけられる言葉は全て歓迎の気持ちの表れ。
それに応えていくうちに、少し曇っていた
表情と心情は晴れやかになっていった。

シリアの内戦で生み出された難民を
飲み込み続けるこの国は、大事な局面を迎えている。
今、踏み出す一歩は希望への小さな前進か
それとも終わりの始まりなのか。
現状とその未来を、見るため知るためにここに来た。

それなのに私は無意識に警戒していた。
国に、街に、人に、壁を作っていた。
声をたくさんかけてもらって、
笑顔で人と話をしてやっと気がついた。

勉強していたつもりだけれど、
結局何も知らなかった。

自分も”日本人”だったんだなあ。
ふとそう思ったとき、頭の中の根は枯れ
恐怖の種は友好の花に変わった。

2014.03.24
【文責 マネジメント局1年 守屋 和穂】

「今」が「過去」になる前に

数ヶ月間食事をとっていないと思われるほどガリガリに痩せ細った男性が、力なく横たわった状態でこちらに視線を向けている。

イスラエルにあるヤド・ヴァシェム*に飾られた「過去」の悲惨な光景を写し出した一枚の写真。

私はその写真の前で足を止めた。

―そこに広がる光景に、なぜか見覚えがあった。

* * * * *

ヨルダンの首都アンマン。

この街にはシリア紛争から逃れてきた”シリア難民”と呼ばれる人々が多く住んでいる。

 

紛争が始まってから三年間、メディアに煽られ他国の利害に左右され続けてきた中東、シリアの人々。

―もう疲れた。戦争はやめたい。

そう思ってももう後戻りをすることは出来ない。

あまりに多くの犠牲を払い続けてきてしまったから。

ある人が「家族、親戚、または知人が殺されていない人なんて一人もいない。」と言った。

そして今日も殺し合いは続いている。

 

この紛争で生み出された”難民”の数は過去最大。

ヨルダンに逃れた”難民”の数は約60万人*。

この「60万」という”数字”に置き換えられた一人一人の姿をあなたは想像することが出来るだろうか?

 

ガリガリに痩せ細った腕で赤ちゃんを抱き、力なくこちらに視線を向ける女性。

娘は殺されて妻の行方はわからないと嘆く男性。

おじさんは銃で撃たれて死んだ、と悲しそうな表情を見せる少年。

シリアで負傷して仕事が出来なくなってしまった男性。

学校に通わず一日12時間働いても3JD(約420円)しかもらえないという少年。

 

ある男性は、昨日まで大学の教授をしていた。

またある少女は、昨日まで学校に通っていた。

―昨日までの当たり前が今日も明日も当たり前に続く、とは限らない。

 

良くも悪くも”平和ボケ”した私たちには想像し難いが、全ては「今」世界の裏側で起こっている、現実なのだ。

ヤド・ヴァシェムに飾られた「過去」の写真の数々を見て、「過去」も「今」も変わっていないように思えて仕方なかった。

ガリガリに痩せ細り力なくこちらに視線を向ける写真の中の男性と、痩せ細った腕で赤ちゃんを抱き力なくこちらに視線を向けるシリア難民の女性。

―彼らは何が違うの?「過去」と「今」の間で、何が変わったの?

 

「過去」を”忘れない”ことは大切だ。

しかし世界の裏側で苦しむ人々の「今」に背を向けて、「過去」になってから”忘れない”というのはあまりに無責任ではないだろうか。

 

* * * * *

 

―「今」が「過去」になってしまう前に、私に出来ることって…?

 

私は写真の中から力なくこちらに視線を向ける男性の前からしばらく離れることが出来なかった。

 

*ヤド・ヴァシェム

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって虐殺された約600万人のユダヤ人を慰霊する目的で建てられた博物館。

 

*ヨルダンに逃れたシリア難民の数、約60万人

正確には587,308人(2014/3/23 UNHCRデータより)

難民登録されたシリア難民の数 2,538,110人

http://data.unhcr.org/syrianrefugees/regional.php

 

2014.03.25
【文責:マネジメント局1年 田中千晴】

3年という月日

もうあれから長い月日が経った。

3年。

この年月を聞いて何がまず思い浮かぶだろうか

ちょうどこの頃は高校の卒業生の送別会をしていた。
ホールでダンスや舞台の出し物をしている最中、天井が揺れているのに気づいた。
私は舞台上の生徒の振動で揺れているものだと思っていた。

だがその瞬間は静かに訪れた。

1人の生徒が悲鳴を上げる
悲鳴は連鎖し舞台の音楽ももう聴こえない
生徒が背後にあるドアに向かって一斉に走り出す。

地震だ

2011年3月11日、後に東日本大震災と呼ばれる大きな地震が起こった。
死者・行方不明者2万1500人超。
今も原発事故の影響は残る上、復興は間に合っておらず国内避難民として仮設住宅で辛い思いをしながら暮らしている人も少なくない。

しかし当時の私達はその4日後の3月15日、予定通り何事もなかったかのように卒業式を行った。

しかしちょうどその2011年3月15日、もう一つの悲劇が生まれようとしていた。

シリア内戦だ。

この日シリア各地の都市で一斉に大規模なデモが行われた。
そしてそれは戦闘に発展し、今もまだ続いている。

死者は14万人を超えた。

隣国のここヨルダンには国外避難民として約60万人のシリア人が避難してきている。

2割が難民キャンプ、8割が都市部に住んでいる。
大きな支援団体の手が届きにくい都市部では、UNから支給された病気の治療費やクーポンを売って家賃や子供の文房具に当てやっとの思いで暮らしている家庭がほとんどだ。

「心も身体も限界だ。」

視線を床に落とした1人の男性がぽつりと呟いた。

いつかはこんな苦痛も終わるだろう。そして難民の方もそう信じているはずだ。
そう思いたくて難民の方に将来どうしたいかを聞いてみた。

キャンプでも都市部でも返ってくる答えはいつも同じだった。

「シリアに帰りたい」

3年、と聞いて何も思い浮かばなかった人はいないだろうか。

私たちの中ではすでに遠い過去のことかもしれないが、
彼らの中ではまだ何も終わってはいない。

「震災3年ということでいらしたんでしょうけど、私らには区切りでも何でもないんですよね。」*

ヨルダンで朝日新聞のこの記事を読んだ時、この言葉が深く胸に刺さった。

東北の人に送られて余った服をシリアに届けている人がいる。
まだ被害の残る東北の人もシリアの人を助けようとしている。

私たちはただ眺めているだけか。

*朝日新聞朝刊 2014年3月13日付 ( 続きを読む