予感

明日からインドへと旅立つ。
人生で2回目のインドだ。

また、インドに呼ばれてしまった。

私はインドが好きだ。
日本にいる時よりもずっと、生きていることを強く感じることができるからだ。

でもそれは自分で気づいたのではない。
インド人に教えてもらったんだ。

いつ死ぬか分からないからこそ、精一杯今を生きる。
本当に当たり前のことなのに、日本にいるときはそれができていなかった。

また、人で溢れ、人とのつながりを強く感じることができるインドが好きだ。
もっというと、インドにいるときの自分が好きだ。

今回の旅でもたくさんの人と出会いたい。
そんな思いで旅を迎えようとしている。

インドにこうやってまた行くことは何かの縁ではないか。

去年の夏のたくさんの出会いも使命だったのではないだろうか。

夏、ボーンフリーアートスクールという子供を自立させるための学校と出会った。
子供達は児童労働や自殺未遂、性的暴力などの過去があり、言ってしまえば「かわいそう」な子供達である。

しかし、一緒に過ごし、日を追うごとに強く感じた。

彼らは、人として強い。
自分とは比べ物にならないくらいに。

人のことをおもいやり、学ぶことに意欲を示し、夢を持っている。
一緒にいると幸せな気持ちにさせてくれる自慢の友達だ。

そんなみんなと出会えたのは素敵な思い出だと思っていた。

しかし、私は日本に帰ってきてなにか引っかかっていた。

日本に帰ってきて自分だけが豊かな生活をしているうしろめたさ。
また、このままみんなと出会ったことが過去になり、
みんなの存在がだんだんと薄れていくことが怖かったのである。

ボーンフリーの子供達だけではなく、インドすべての路上の子供達のためになにかするには、自分がいかに無力で何もできないか思い知らされた。

でも、なにかしたかった。

なにもしないよりかはなにかしたかった。
その気持ちが強かった。

そこで、今回ボーンフリーのこどもたちのドキュメンタリーを撮るといった手段を選んだ。

そしてもっとたくさんの人に児童労働問題の現実を知ってほしい、自慢の友達がいかに強いか、人に影響を与えるか知って欲しい、
もっというと、発展途上国と呼ばれる子供達の心の豊かさを知ってほしい、そんな思いでドキュメンタリーを撮りにいく。

これは支援とか、国際協力といったものではないと思う。

出会ったなにかの使命なのではないか、
なにかの縁でドキュメンタリーを撮りにいくのではないか、そんなことを感じている。

私は頭がおかしいのだろうか。

あの汚い不健康な危ない国、インドに自分が呼ばれていると思うなんて、
あーまた、インドか、
そう思いながらワクワクしているなんて。

そんな思いでバックパックに荷物をつめている。

また多くの人と出会う。
だってそれが旅だから。

そして確信している。
いい旅になる予感がする。

2013.3.8

【文責:イベント局1年 石田桃子】

600ルピーの夜

インドの首都デリーから電車に揺られること7時間。

本当は6時間の予定だったけど。
まあ、これがインドだ。

アジメールに着いた。
そこからリキシャで山を一つ越えたところに小さな村がある。
プシュカルという村だ。
そこには、白い建物に囲まれたヒンドゥー教の聖地である小さな湖。
広大な砂漠。
カラフルなバザール。
真っ青な空は夜になると満点の星空に変わる。
インドでは珍しいほどの静かで穏やかな村だ。

そんなプシュカルで出会ったジプシー(*)の女の子との話。

湖のほとりの路上で手作りのビーズのアクセサリーを売る女の人たちがいた。
身なりは綺麗とはいえない。
それでもダンスが好きというその立ち姿はとても綺麗だった。

私たちは友達になったスウェーデン人バックパッカーと一緒に
彼女達に夜ご飯をごちそうになることになった。

そのときの私はぼったくられるだろうと思いよりも好奇心の方が強かった。

村の中心部にある湖から歩いて30分ほどのところに彼女達の家はあった。
家といっても砂漠の真ん中にある、掘建て小屋のようなところ。
彼女は、この家では雨はしのげないと言った。

想像をはるかに超えたその住まいにすこし愕然としている私に彼女達はヘナアート(*)をしながら次々と家族を紹介してくれた。

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たくさんの妹、弟、そして母親。
しかしそこに父親はいなかった。
酒を飲み、稼いだ金を盗む父親は、喧嘩の末なくなってしまったと言っていた。

私にヘナアートをする彼女の膝の上には1歳の赤ちゃんがのっていた。
おむつもはけずほとんど布にくるまれているだけの赤ちゃんだった。

彼女は言う。
私は学校にも行けなくて読み書きもできない。
小さい頃からずっとアクセサリーを売ったり、ヘナアートをしたりしている。
どうすることもできなかった。これしかなかった。

私は彼女に小さいときの夢を尋ねた。
彼女は、学校には行けていないが英語が話せる。
路上で観光客を相手にするうちに学んだという。
しかし彼女は最初夢という簡単な単語の意味が分からなかった。
それでもなんとか夢の意味を理解すると、
「ダンスの先生になること」といいながら、子どもに乳をあげていた。

18歳の女の子の話だ。

彼女は最後に私にお金を要求した。
両手のヘナアートで、600ルピー。(約1000円)
ヘナアートの平均的な値段は10ルピーかそこらだ。
それを知っていて、彼女の要求が法外なのは気づいていたけど、
私は自分にとって600ルピーが大金ではないことが切なかった。

でもこの600ルピーがあればこの家族の食事がどれだけ持つだろう。
インドではそれくらいの大金だ。

もちろん日本のお金の価値とインドのお金の価値を混同するのは間違っているけど、それでもインドと日本の差が、切なかった。

いや多分違う。彼女と私の差が、切なかったのだ。

私は交渉する事もなく、600ルピーの要求に応じた。

私に残ったのは、ぼったくられた悔しさじゃなかった。
もちろんいいことをした気分にもならない。
この境遇の中でも家族と穏やかに笑う彼女のことをかわいそうだと思ったわけでもない。

なんとも言えない気分だったけど、
大人数でご飯を食べながらみるこの砂漠の星空には600ルピーの価値があると素直に思えた。

私は、彼女にありがとうと答えて帰った。

帰り道、次の目的地へ向かうためにリキシャに揺られている時、
次は彼女にダンスを教えてもらいにまたプシュカルへ来たいなと思った。

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2013.3.20

文責:高本友子

*ジプシー(ロマ):インド発祥の主にヨーロッパに存在する流浪の民。インドではアウトカースト(不可触民)。大家族で砂漠を移動し、インドでは主にラジャスターン地方に住む。女性は小さな子どもを抱えている事が多いが、これは女性の多くが売春を強いられているからと言われている。ジプシーは近年差別用語とされるが、自らがジプシーと名乗っていたので今回この言葉を用いる事にした。

*ヘナアート: 砂漠に育つヘナという植物の葉のペーストで描くボディアート。インドの路上ではいたるところで「ヘナ!ヘナ!」と声をかけられる。

 

born free one kiss

「わたしの本当の居場所はあそこなの、あそこに行きたいの」

そう言って、14歳のラクシュミは空を指差す。
彼女には父親も、母親もいない。
小さい頃にお母さんは、焼身自殺で亡くなったのだという。

* * * * *

バンガロールといえば今やインドのシリコンバレーと言われるほどのIT業界の中心地。
近代的な空港の近くは大きなビルが立ち並び、たくさんの有名企業の看板が名を連ねる。
そこは人々の生活感はなく他の都市に比べると異質だった。

車を走らせ、街が近づいて来るときちんと整備された高速道路から、
だんだん道が悪くなっていき、車体ががたがたっと揺れ始める。

鳴り止まないクラクション。 乾いた風がはこぶ砂埃と香辛料の香り。
道をゆっくりと歩く牛。 物珍しそうに顔をのぞきこんでくる人たちと目が合う。
ああそうだ、やっぱりここはインドだ。

そんなバンガロールの片田舎にあるボーンフリーアートスクール。 ここは、

児童労働を強制されていた、
性的暴力を受けていた、
物乞いとしてストリートで生きてきた、

さまざまなバックグラウンドをもった6歳から18歳までの子供たちがひとつ屋根の下で、
アートを学びながら共同生活をしている。いわゆる学校ではなく、ひとつの家族のよう。

そういえば、同じインド人でもバンガロールの空港で会った
ビジネスマンたちと、肌の色がまったく違うことに気付く。
ここの子供たちは全員、アウトカーストと呼ばれる不可触民。
UNTOUCHABLE = 手を触れてはいけない『もの』
そう呼ばれて、彼らは人間として認めてもらえなかった存在だった。
わたしの前で、キラキラと目を輝かせて笑うこの子供たちが。

* * * * *

インドは世界一児童労働が行われている国
その数は一億三千万人。日本の人口を上回る数字だ。

しかし日本で得られるのはそういった平面の知識でしかない。
悲しいけれど、遠い存在であるが故に、児童労働の事実を知らない人も多くいるし
私自身もこういう子供たちは可哀想だと思っていたことがあった。

今回の旅で、ボランティアとして、お客さまとしてではなく、同年代の友達として
ボーンフリーの子供たちと8日間、衣食住を共にしたことで気付いたことがある。

彼らは脆いが、強い。

腕や、胸に残る無数の自傷の線、他人から受けた暴力の痕は生々しい。
心まで深い傷を負った子供たちは今もそれぞれ複雑な問題を抱えている。
けれど、辛い過去をアートを通して表現することで平和を訴えると同時に、
自分で自分を乗り越えようとしているようだった。
彼らには一人一人、夢がある。
What is your dream?  そう聞かれて、わたしは詰まってしまった。
やりたいことはぼんやりとあっても、なんと答えれば良いのか分からない。
不自由無く生きてきたわたしがどこかで忘れてきたもの、欠けている何かを、
ボーンフリーの子供たちは持っている気がした。

* * * * *

ラクシュミがはにかんだ笑顔で、I want to be a dancer…と夢を語る。
親戚の家をたらい回されて仕事を強制され、暴力を受けて、時には物乞いとして生きた。
これまでのたった10年ほどの人生で、彼女は誰からも愛を与えられず、何度傷ついたのだろう。

冒頭の言葉を言われたのは、帰国の前日。わたしはなにもできなかった。
なにか上手く言えたらよかったのかもしれないけれど、
ただ彼女を抱きしめることだけで精一杯だった。

そして、お別れの日。
ラクシュミがわたしのところへ来て、ハグをしてそっと耳打ちし、親愛のキスをひとつ。

「ぜったいにもどってきてね。ニナ プリティ マンディーニ (カンナダ語で I love you の意)」

わたしはたった8日間で、この子供たちに何かしてあげられたのだろうか。
逆に子供たちから、たくさんの愛をもらった気がしてならない。

一億三千万人。
この計り知れない数字が一人歩きして『 国際問題だ!解決しなきゃ! 』と声を上げるよりも、
その数に隠れて生きている子供たちがいる、ということを知ってほしい。
一億三千万人の中のわたしの友だちは、決して可哀相なんかじゃない。
強く、たくましく、夢を持ち、愛を知っている。
そして、きっと今日もバンガロールのあの場所で歌って、踊っているだろう。

BORN FREE ART
その言葉の通り、アートで子供たちはもう一度
自由の身へと生まれ変わることができると信じて。

2013.4.21

【文責:イベント局 2年 天谷美穂】