ネパール、カトマンズからバンで12時間。見渡す限りの大自然の中、延々と続くボコボコの山道を走り続け不安になってきた頃、やっと村に到着した。

ネパールの山奥、緑に囲まれたこの場所の名前はフワス村。
水道もガスも通ってなかったが、人々が自給自足で暮らし、牛やヤギが行き交い、夜は満点の星空に包まれるこの村には都会の喧騒とはかけ離れたゆったりとした時間が流れていた。

そんな村に2泊したのだが、「ナマステ!」と笑顔で歓迎してくれた心優しい村人達と仲良くなるにはあまり時間も言葉もいらなかった。
やんちゃで無邪気な村の子供達とも沢山遊んで仲良くなり、大好きになった。

ある時、荷物を整理している際に鞄からチョコレートが見え、それを見て欲しがる子供がいたので何も考えずに一つあげた。
すると、その様子を見ていた他の子供達も皆「もう一つ欲しい」「何かちょうだい」と人が変わった様にねだり始めた。さらには人の鞄を勝手に漁るまでになってしまった。
そこにはさっきまでの大自然で無邪気に遊ぶ子供達の姿は無く、僕の目にはもはや餌にたかる動物の様に見えてきて恐怖すら感じた。

そしてこの頃になってやっと僕は自分の犯した事の重大さに気付いた。それまで子供達はフワス村での生活を受け入れて来たのに、たった一つチョコレートをあげたことで物欲を一気に目覚めさせてしまったのだ。
このままでは自分で苦労して生活することに馬鹿馬鹿しくなり、ただただ楽に物を貰おうとするダメな人間になっていってしまうと思った。

これは一個人にだけでなく、もっと大きな視点でも言えると思う。
貧しい国に支援物資を送る活動がよくあるが、単純に完成品を送り続けた場合、貰う側の人間は延々に受け取り続けるだけで自分で働こうとはしないだろう。
そしてどんどん物欲にまみれることでむしろ治安も悪化してしまうかもしれない。
支援するなら完成品では無く作り方や技術を教えなければ本当にその国を救う事にはならないのだろうと感じた。

これらの事は頭では分かってたつもりだったが、実際に体験すると衝撃的だった。
またこの先何が起こるかは分からないが、体験した出来事の奥を考えられるようにしてこれからの旅を続けたい。

2013.09.16
【文責:イベント局1年 大矢駿介】

旅の魅力

スタディツアーの募集が始まる前から
私はインドに行くことを決めていた

中学生のときに紀行モノにはまり読みあさったが
とりわけインドに引き込まれた
活字からでも騒がしいインドの空気が感じられた
衛生面や治安でもちょっとアブナイ所があって、冒険心をくすぐられた
そんな憧れのインドに行くことが決まり、出発前からわくわくしていた

インドに行けば何か価値観が変わるのではないか
そう漠然と期待して乗り込んだ

デリー、ヴァラナシ、アーグラー、プリー、コルカタと見て回ったが、
一番インドらしさを感じられたのはヴァラナシではないだろうか

日の出前からガンジス川で沐浴する人々
ガンジス川のほとりにある、火葬した遺灰を川に流す火葬場
思いがけないところに落ちている牛の糞
クラクションが絶え間なく鳴り響く道路
一番にぎわっているダシャーシュワメード・ロードでは
バックパッカーや日本語をぺらぺら使いこなすインド人など人がごったがえし、
活気にあふれていた
これが私の見たかったインドの姿だ、と思った

インドにはあふれんばかりの人がいる
当然いい人も悪い人もいる
話してみなければわからない
だまされるかも。売りつけられるかも。危ないとこに連れて行かれるかも。
そんな危険を覚悟しながら、内心びくびくしながら、会話する
これが多様な人々、善悪両極端の人間がいるインドならではの魅力だ
そして、インドが好きになるか嫌いになるかの分かれ目だと思う
幸いにして今回は親切な人ばかりにめぐりあえたが、次はわからない

この旅では、たくさんの出会いがあった
インドを旅する日本人のバックパッカーや、インドで働く日本人、
日本に18年間住み日本語が堪能なインド人、
会ったその場でレストランの送り迎えをしてくれたノリの良いインド人
日本語も英語も通じないが、笑顔でコミュニケーションした食堂のおじさん
みな私たちに対して親切にしてくれ、貴重な体験談や興味深い話をしてくれた

もちろんガイドブックに載っている美しい世界遺産にも感動する
でもそのような観光スポットは不変だから、何十年か後にまた訪れればいい

しかし「人」は違う。
同じところに行っても必ず新たな出会いがある
それこそがリュックを背負って街を歩く旅の魅力だと実感した

10日ほど滞在したものの、インドという国がどんな国なのか、正直つかめなかった
あと何回でも行って、五感でディープなインドにひたりたい
新たな出会いも、今回出会った人との再会も楽しみだ

もう私はインドのとりこになった

2013.09.24
【文責:マネジメント局2年 宮川扶美子】

平和

僕はこのスタディツアー中、この言葉を何度も聞いた。

 聞いた場面は様々だ。タイ、ネパール、インドとどこでも耳にした。とりわけネパールではたくさんこの言葉を耳にした。

 ネパールにあるチベット難民キャンプでの話を紹介したい。
 ここではチベットを中国からの独立を目指す人々の話を聞いた。チベット人による独立運動への弾圧、弾圧にともなう中国軍によるチベット人の大量虐殺や人権侵害、またチベット人の抗議自殺。特に難民キャンプの入り口付近にあった、焼身自殺した人々の写真は衝撃的なものだった。
 チベットには軍事力もなければ、財力もない。彼らの資金源は中国からの支援金に頼るのみである。それにも関わらず独立を訴えている。僕たちは疑問を隠せなかった。
 「仮に中国から独立して、財政面はどうするつもりなのか」
 彼らはこう答えるのみだった。
 「平和的な解決しか道はない」
 彼らはいつか中国が変わるのを待ち続けるしかないと言った。彼らはいつか中国がチベットを解放し、かつ資金援助を続けてくれるような平和的な日々を、ただひたすら待っているのだ。
 僕は「平和」とは何なのか、と自問した。僕には彼らの言う「平和」は彼らにとって都合のいい決まり文句にしか聞こえなかった。人と人とが助け合い、みんなが幸せになるそれが平和なのか。そんな世界がいつか訪れるのか。また平和というものは存在するのか。

 スタディツアーに行く前までは、人と人とが助け合い、みんなが幸せな世の中が「平和」なのだと思っていた僕ですが、スタディツアーに行って、現実を突きつけられて、見てからは、何が「平和」なのかわからなくなった。「平和」な世の中なんて実現不可能なんじゃないか。

皆さんはみんながみんな幸せなんてあり得ると思いますか。人の幸せは他人の不幸の上に成り立っているというのに。また平和とは何だと思いますか。

2013.09.27
【文責:広報局1年長谷川大貴】

人と人、国と国

インドとネパールといえば国際的にみると従属的な関係であるというイメージがスタツア前からあった。
一般的に隣国同士は犬猿の仲であるという印象がある。例えば日本と韓国は現在非常に険悪なムードにある。
そして、それは国民にも大きく反映され、日本では反韓、韓国では反日の思想がマジョリティになっている。
インドとネパールにも国際的な力関係がそのまま国民に反映されているのではと思い、それをフィールドワークにおいて肌で感じられると期待していた。
結果は想像以上のものであった。

ネパールでは、インドからの蔑視を強く意識しており、インドに対してはマイナスなイメージを抱いている風潮があった。
しかし、一部からは、インドとネパールはある意味で商業的な関係が成立している、だからお互いがもっと尊重すべきだという意見も聞かれた。
ネパールの人々はインドを強く意識する一方、インドの存在が直接彼らの生活に関わるということから、必要不可欠であるという葛藤があるようだった。
一方でインドでは、ネパールについてはほとんどの人が良く知らない、悪い国とは思わない、と曖昧かつ無難な回答しかなかった。
これは、インタビュアーが日本の大学生だから本音を言わなかったという雰囲気ではなく、単に無知であるということが推測された。
つまり、ネパールの人々のインドに対する思いとインドの人々のネパールに対する思いの温度差が激しいのである。
国際規模で考えれば、絶対的優位な国は劣位な国など度外視し、力関係が均衡し、緊張状態にあることを気にしたり、自分たちよりも強力な国の顔色をうかがうばかりであるのではないだろうか。
一方でネパールのような、大国に従属の関係にあるような国は外交においてはその大国ばかりに力を注ぐため、その分細部にまで問題意識が生まれるし、国民の関心も高いのでは、と思う。
これが解決されるためには大国が小国の声に耳を傾けるしかないと思うが、現状、それは難しいとも思った。

今回のスタツアでインド・ネパールの人々とのコミュニケーションを通じて多くの感銘を受けてきたが、人と接することでそのバックにある国というスケールの壮大な部分にまで自分が足を踏み入れているような気がして高揚したことが忘れられない。
この意識をこれからも大事にしていきたい。

2016.09.28
【文責:広報局1年 竹野健太】

旅の目的

「ワタシニホンゴチョットハナセマス!」

インドはコルカタ。人でごったがえす賑やかな通りでそう声をかけられた。

絶対何か企んでる…

そう思った。インドの旅行記を聞けば、騙された、危険な目にあったばかりだったので、インド人=悪い人々…そんなイメージしか持っていなかった。
だが、彼は1人でペラペラと喋りだし、日本で仕事をしていたという他のインド人に電話までかけだした。彼はどうやらそのインド人に会って欲しいらしい。
半ば強引に彼に連れて行かれ、少し奥まった路地に入った。

やばい…何が目的なんだろう…

猛烈に警戒しながらついて行くと、さっき電話の向こうで話していた、日本で仕事をしていたというインド人がいた。
彼は日本に18年間住んでいるらしく本当に日本語が堪能だった。

「本当に何も買わなくてイイから、とにかく私の店に入って!」

何度もそう唆され、私たちは彼のシルクの店に入った。

そういうことか…買わされる…

そして彼はこう話し始めた。
「みなさん、凄く警戒してらっしゃる。それは当たり前ですよね。インドはみんな騙してくるしね。でも、10分でも私の話を聞いたらわかると思います。私は日本にずっと住んでいて今はインドで日本人に会えたから話したいだけなんです。ただそれだけ。

インドは凄く危険でインド人は悪い人々。そう言われます。私はそれがすごく悲しい。確かにインドには騙してくる人が沢山います。けれど全員がそうなのでは決してない。良い人も悪い人もいる、それは日本だって同じ。
それを、インド人=悪い人々と考えて、すべての人を疑って話さずにいては何も進まない。

話してみて、初めて人がわかる。

例えば、日本と中国だって同じこと。国家間の問題があっても個人個人の人との繋がりはそれとは全く関係ない。

話してみなければわからないんです。日本人は全員が悪い人と思って全く話さずに行ってしまうけれど、ほら、こんな風に10分でも話せば少し相手のことがわかるでしょう?」

その後彼はにっこりと笑って、私たちに温かいチャイを出してくれた。

そうして、はじめに予想していたように無理矢理シルクを買わされたりすることもなく、私達はその店を後にした。

これから彼は、このシルク店の収益で日本人が安心して泊まれる日本風のホテルを建てようとしているのだという。

旅の目的は場所ではなく人なのだと思う。
迂闊について行けば騙されるかもしれない。危険な目に会うかもしれない。
だが、それを怖がってばかりいてはおもしろくない。

2013.9.28

【文責:広報局1年 島田夏海】

ネパールの限界、そして今後

ここでは、ネパールについて現地で考えさせられたことを書きたいと思います。私の考えさせられたこととは「ネパールの限界」、そして「今後の方向性」です。前者のこの「限界」とは経済発展の限界を指します。まずは私がそう考える理由を説明していきます。

この問題の最大の原因は、ずばりネパールの地理です。

私たちが訪れた首都カトマンズは海抜1300メートルに位置し、世界一高い場所にある首都して有名です。しかしそのために、道が山がちで、なかなかインフラ整備が進まず、道路も未舗装の土の道が多かったです。鉄道もひくことができず、交通手段は車しかありません。そのため、ひどい渋滞がおきます。私たちも、この渋滞を経験しました。カトマンズから農村部に行く道で、2時間の渋滞がありました。ガイドは、ここでは日中常に渋滞している、と言っていました。鉄道が敷けない上、唯一の物流手段である車でさえここまで渋滞するなんて、ネパールの輸送機関は極めて未発達であると感じました。

ネパールは内陸国であり、東は中国、西はインドに国境を接しています。東の中国との国境は、世界最高峰ヒマラヤ山脈に覆われているため、交易はできません。そうなると、内陸の小国ネパールは大国インドと貿易せざるを得ません。実際、ネパールの対インド貿易は全貿易量の70%を占めます。その内訳も、生活必需品の一次産品中心であり、インドはネパールという国自体の存続において決定的な力を持っていると言えます。一方、インドからみたネパールは、全貿易の0.5パーセントにも満たず、その貿易の影響もネパールと国境を接しているベンガル3州に限られ、「なんにもない国」とインドから見ると言えそうです。現に私たちがインドのデリー大学、バラナシ大学で学生にインタビューした際も、隣国であるということ以外にネパールについて語ることができる人はいませんでしたし、カトマンズに入るためにトランジットで利用したデリー空港では、LCCの事務員にカトマンズなんていうなにもないとこになにしに行くのだとからかわれました。この様な状況が示しているように、インドはネパールに対しとても強い態度で貿易にのぞんできます。その一例として、自動車貿易が挙げられます。ネパールは国産車メーカーが存在しないため、唯一の長距離交通手段である貴重な自動車を100%インドからの輸入に頼っています。インドはこの独占状態をいいことに、主に自国で需要がなくなった故障車を修理してネパールに輸出しています。更にインドは自国車以外に300%の法外な関税をかけさせます。例えば中古のトヨタランドクルーザーは日本円で700万円もします。ネパールでの一人当たりGDPが日本円で7万円であることを考えれば、どれだけ高額であるのか少し想像がつくと思います。こうしてインドは自国の車を半ば強制的に売り込んでいるのです。確かに、ネパールでみかける車のほとんどがインド車のTATAでした。そして、時折見受けられる道端の故障車もまたTATAでした。

この自動車の例から、他にもネパールの問題を見ることができます。インド以外の車に高関税をかけ儲けている政府や、絶対的なインドとの貿易に携わる貿易会社です。一人当たりのGDPが7万円の中、貿易会社の経営者のひとり、チャウダリという人はフォーブス誌の世界億万長者ランキングに載りました。このように極めて貧富の差が開いた状態では、社会主義が力をもちやすいのですが、ネパールもその例外ではなく、共産党毛沢東主義派、マオイストと呼ばれる人たちが最大野党となっています。従来の穏健な国民会議党ではなく、マオイストの革新的な財産平等・共有の社会主義に惹かれ、若者のほとんどはマオイスト支持なのだそうです。ネパールの若者達はアクティブで、ネパール人としてのプライドもある。1960年代中国で起きた文化大革命の時の紅衛兵が思い出され、なにか危うさを感じました。このように資本主義と社会主義がぶつかり合い、政治が大混乱していては、もちろん政治面から経済発展への強力なイニシアチブを取れるはずがありません。

こうした現状をみると、ネパールは他の後進国と同じように経済発展ばかりに邁進していくよりも、自然保護に徹するべきなのではないか、という考えが私の中で出てきました。ネパールの経済発展は、前に述べた地理的要因と政治的要因によって大きく限られたものになるでしょうし、限られた中でも経済発展の中で都市化進んでしまったら……首都カトマンズはひどい大気汚染が問題になっており、現地の人々でも半数は外出時マスクを着けています。またゴミも道のそこら中にちらばっていました。このような歪な都市が増え、ネパールの美しい自然を浸食していくのです。それよりは、ネパールの美しい自然を、現存のままで保存したい、と思いませんか。ネパールといったら、ヒマラヤ山脈、エベレスト。ポカラという景勝地からみたヒマラヤは、本当に美しかった。でも、私が真に感動したのはそういった風景ではなく、農村部で見ることができる、自然とヒトの共存でした。「こんな急斜面の崖のような山で、人が暮らせるはずがない」と思えるようなところでも、よく見ると畑があって、そこで子供達がたくましく畑を耕していたり、電気やガスが使えなくてもなんの不自由もなく、悠々と自給自足の暮らしをしている人を見て、私は感動しました。日本では絶対に見ることができない、自然とヒトの上手な付き合いが、そこにはありました。世界が資本主義の荒波にのまれて、自然を犠牲にし、経済発展しか考えていないような国ばかりのなかで、このような光景が見れるのなら、それをできるだけ現存の形で保護し、未来世代に伝えたいとは思いませんか。

私はこの「経済発展より自然保護」という考えに、自信を持っていました。しかし、カトマンズから12時間車を走らせたところにある、フワス村でこの話をすると、全くこの考えは通じませんでした。そのフワス村で、同年代くらいの高校生と話していると、彼らは口をそろえて「日本のように経済発展をして、豊かな国になりたい」と言い、渋谷のスクランブル交差点の写真を見せると「すごい」といって目を輝かせていました。彼らは将来のネパールの経済成長を確信し、物的に豊かな国になると信じて疑いませんでした。小学生くらいの子供たちは私のスマートフォン、時計、帽子、ペン等、身の回りのものに指を差しては「ちょうだい」とせがんできたり、「チョコレートちょうだい」とせがんできました。

私はショックを受けました。結局、先に述べたような「経済発展より自然保護」という考え方は、物的に成熟しきった日本に住む私だからいえる、一方的な意見だったのです。そのように物が溢れ、何でもすぐ手に入るような環境にいたことがない、ネパールの人たちが日常の当たり前と化した自然を犠牲にしてでも、物的豊かさを経験したいというのは至極真っ当な話なのです。ネパール人である前に人間なのだから自分に無いものを求めるというのは当然です。

この二つの対立する意見、限られた経済発展か、自然保護か。ネパールはどちらの道を選択するべきなのでしょう。

ある人はこんな折衷案を思いつくかもしれません。ヒマラヤトレッキングや、ポカラ等の景勝地を売りとして、観光業を盛んにし、それを軸に環境を保護しながら可能な限り経済発展を続けていく、といったものです。しかし、これは本当に自然保護できているのでしょうか。私が感銘をうけた自然とヒトとの共存は、もしそれが観光用として見せ物にされてしまったなら、その本来の色を失ってしまうのではないでしょうか。観光目的で、人工的に、独自の環境を変えてしまったなら、いくら環境保護に徹していようとそれは自然破壊なのではないか、そんな疑問が浮いてきます。

ネパールを実際に旅し、ミクロな側面から浮き彫りになった、国の将来の方向性を左右するマクロな問題。経済発展か、自然保護か。簡単に答えを出すことはできませんが、ネパールという国に関わった以上、これからもその方向性を模索していきます。みなさんはどう考えますか。

【文責:イベント局1年 阿施翔太】

 

2013.10.05

あるべき姿

日はまだ昇らない。

まだ薄暗い聖河に、男が頭の先まで一息で浸かる。

僕ははっと息を呑む。

ヴァラナシの朝は早い。

この街は、ガンガーとともにある。

今も昔も。

悠久の歴史を刻む石造りの街並み。

迷路のような路地を本能のまま進めば、旅人は必ず聖河へと至る。

すべての不浄を清める河。

より善い転生へと導く河。

そこでは、生と死が混在する。

夕刻の*メイン・ガート。

遠くを仰ぎ見れば、数人の*バラモンが横に並んで、一心不乱に祈りの舞踊を捧げている。

ヒンドゥー教の礼拝儀礼、プージャーだ。

一面の闇の中、彼らの持つ松明の炎が全身の装飾品で煌びやかに反射する。

身体の動きに合わせて、装飾品がこすれぶつかり合い、乾いた金属音が鳴り響く。

辺り一面に荘厳な雰囲気が漂う。

刹那、眩い光にはっとした。

僕のすぐ後ろで、西洋人がCanonの一眼レフを構えていた。

気付けば、あちこちでフラッシュがたかれている。

ヒンドゥー教の聖地であると同時に、一大観光地でもあるガンガー。

プージャーを目当てに、白人を載せた舟がひしめき合う。

その上を、ここぞとばかりに花売りの少年少女が渡り歩く。

悠久の歴史が、観光資源として使われていた。

そこに住む人々の瞳に、僕たちはどう映るのか。

文化を踏みにじる邪悪な侵略者か、金を落とすだけのただのカモか。

そこには人々の暮らしがあり、数多に彩られた人生がある。

観光客相手の商売で生計を立てる者も多い。

路地を歩けば、どこで覚えたかも知らない巧みな日本語で呼び掛けられる。

この感情はなんだ。

そこにあるべきものが失われてしまいそうで、悲しかった。

我が物顔で歩く外国人を見て、腹立たしかった。

でも僕もその内の一人に過ぎないんだと思えて、やるせなかった。

ないものねだりが人間の性。

部外者ゆえの、浅はかで無責任な欲望ともいえるかもしれない。

既に成り立ってしまって、うまく回っているからこそ、虚しさはさらに募る。

通信、輸送技術の飛躍的な進歩により、世界の時間的、心理的距離は大いに縮まった。

その動きは、今後も加速化してゆくだろう。

その中で、僕たちは常に考えていかなければならない。

僕たちの、あるべき姿を。

*メイン・ガート
ヴァラナシ最大のガート、ダシャーシュワメード・ガート。
ガートとは、岸辺から階段になって河水に没している堤のことで、沐浴する場として使われている。
中にはヒンドゥー教徒の火葬場になっているものもある。

*バラモン
ヒンドゥー教の聖職者。
インドのカーストにおいて最上位層を占める。

2013.10.09

【文責:マネジメント局2年 新井達也】

パシュパティナート

ネパール、パシュパティナート。ネパール最大のヒンドゥー寺院で、観光客が火葬を見学できるところとして有名な場所である。そこで見学した火葬場の様子について書き残したい。

とても濁った川の沿岸に火葬場はある。数人の男たちが白い布で包まれた遺体を運んでくる。遺族らしき真っ白の服を着た人たちによって赤、黄色の粉、花びら、聖水?らしきもの、いろいろなものをふりかけられたそれが、火葬台へと乗せられる。遺体を焼く人が様々な太さと長さの薪をテキパキと組み、徐々に遺体が隠されてゆく。最後に藁がそっとかぶせられ、見える部分は足の先のみとなった。火がつけられブスブスと白い煙が上がり始めた横で遺族が両手で顔を覆って泣いている。とてもつらそうだ。
驚くことにそのすぐ横で楽しそうな笑い声をあげる子ども達がいる。川を泳ぐ孤児たちだ。燃えた後川に流される遺体の遺品を集めて生活しているのだそう。
子供と遺体。
喜びと悲しみ。
生と死。
様々なものが一つの視界のなかに収まって僕は何が何だか分からなくなってしまった。

日本において死について考える機会を持ったことはなかった。日本において死とは悲しく、忌むべきこととして生活から遠ざけられるものだからだ。インドやネパールでは死は身近なものとして日常に存在していた。死について考えても明確な答えは出なかったしそんなものはないのだろう。だがたとえ観光という形であっても死に触れ、考える機会をもつことはきっと必要なのだ。特に日本人には。

体と服にまとわりつくような煙とにおいを回想して僕はそんなことを思ったのだった。

2013.09.27

【文責:1年 坪井拓斗】

未だ見ぬ国

普段はインテリアの一部として部屋の片隅に置いてあるバックパックであるが、今日は違う。

明日からネパールとインド、3週間の旅が始まる。

毎日カレー飽きるだろうな、体調崩したらどうしよう。
そんなことを考えると憂鬱な気分になるが、
それでもこれから始まる旅に胸を躍らせ
お気に入りのバックパックに荷物を詰め込んでいく。

インドとネパールに行ってくる。

親や親戚、友人にそう伝えると、
必ず同じことを問われる。

なぜそこに行くの?

こう聞かれてわたしはいつも返答に困ってしまう。
自分でもなぜそこに行きたいのか、はっきりとわからないのだ。

ただ純粋に行きたい。

言葉では言い表せない何かに魅了され
旅を決意した。

長いようで短い3週間の旅。
まだ頭の中の知識でしかないネパールとインド。

自信をもって行ってよかったと言うために、
人との出会いを大切にし、毎日多くの事を吸収したい。

まだ見ぬ未知なる国へ
期待と不安をかかえながら明日、私たちは旅立つ。

【文責:2年 宮越真由】