可能性の宝庫 ~福島第一原発20km圏内に移住する選択肢~

【※ 2018 / 6月取材内容   年齢・事実情報等は取材時のもの】

はじめに

6月。小さな無人の駅を出て、古い民家が立ち並ぶ通りを抜けると、青々とした稲が潮風を受けてなびいていた。田んぼの間のあぜ道に立つと、稲が等間隔で植えられているのがよくわかる。

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水面では、アメンボが糸のような手足を動かし、自在に移動している。周囲に人はいないが、都会にはない「素朴な暮らし」がなんとなく伝わってくる。

しかし、田んぼの向こう側、私から30mほど先には、周囲を金網で囲まれた土地がある。その中には、巨大な黒い袋、フレコンバックが積み上げられている。あの金網の中では、今も多くの作業員の人が働いている。

大きいものでは1tもの重さになるというフレコンバックには、汚染された土や草木、落ち葉が詰められている。フレコンバックの黒さは、のどかな町の風景から遊離していた。

➀

ふと、「被災地」という言葉が頭をよぎる。

ここは、福島県双葉郡楢葉町(ならはまち)。

福島第一原発20km圏内に位置するこの町の住民は、東日本大震災で大気中に放出された放射性物質により、町外への避難を余儀なくされた。ようやくこの町に住めるようになったのは、それから4年半後、2015年9月のことだった。

S.A.L. Blog _ 慶應義塾大学 学生団体S.A.L.公式ブログ と 2 ページ ‎- Microsoft Edge 2018-12-25 00.33.382010年の楢葉町の人口は、7700人。一方、2018年6月に町で生活している人は3367人。町の活気は徐々に戻りつつあるが、65歳以上の住民が約4割を占めるなど、課題も多い。

そして、原発事故から7年経った今でも、汚染物は黒い袋に詰められ、町に残る。今だに7年前の大災害の跡が残っている。

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しかし、この町には、震災後に都市部から移り住んだ人がいる。

未だ課題の多いこの町のどこに魅力を感じ、何を思って住んでいるのか。

私は、取材を始めた。

「可能性」と「存在意義」の町 ここに住む理由

以前は東京の出版社で働いていた古谷かおりさん(34)は、楢葉に移住後、2017年9月に小料理屋「結のはじまり」を開店した。開店のきっかけとなったのは、原発業務や除染作業のため、県外から一時的に楢葉に来ている作業員の人たちだ。

友人づてに知り合った作業員の人から、「日々の愚痴や他愛のない話をする相手が欲しい」「温かい手料理が食べたい」という声を聞いたことが契機となった。店のコンセプトは、「作業員と地元の人の接点となる場」

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20席ほどの小さめの店内は、夕食時に近づくにつれ、お客さんで賑わっていった。お客さんが食べているのはサラダやお刺身の盛り合わせ、もつ煮込みだ。

「営業中にお客さんと話したい」という古谷さんの思いから、調理の大部分は事前に済ませる。開店後は盛りつけるだけ・温めるだけのものが中心だ。

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カウンターに並んでいるのは、昔から楢葉に住むおじさんと、常連の除染作業員。お互い初対面であったが、古谷さんが時折会話に入り、会話を盛り上げる。

酒が進むと、いつしか2人で話し始めている。古谷さんの存在により、お互いに「友達の友達」のような関係になり、打ち解けやすくなっているようだった。

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「作業員と地元の人の交流の場」としての小料理屋は実現しているようだ。

古谷さんも店の経営について、こう語る。

「現状の満足度は、もう120%。交流の場所という意味では、思い描いていたことができた。」

➁

しかし、古谷さんは今後の改善点もあるという。

「料理の腕をもっと上げたいです。作り置きでおいしいって、なかなか難しい。冷めてもおいしい料理や色が変わらない料理、温めなおしても肉が硬くならない料理は、意外と技術がいる。」

小料理屋でありながら、今後の課題として「料理」をあげた古谷さん。しかし、お客さんは美味しそうに料理を食べ、楽しげに夜のひと時を過ごしている。私は、この時古谷さんが単に謙遜しているだけだと思っていた。

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しかし、いわき経済新聞のライターとして活動し、古谷さんの友人でもある山根麻衣子さん(42)はこう語る。

「かおりちゃんは、元は料理がそんなに得意じゃない。飲食店をやった経験もない。でも、小料理屋はあそこに一つしかないから、たくさんのお客さんがお店に訪れている。

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現在の楢葉町は、町のための活動をする人が少なく、必要なものが欠けている。しかし、そのような状態だからこそ、1人1人がやりたいことを実現できる環境なのだという。

「(空いている)土地もあるし、チャレンジの機会もある。町を想っての行動なら必要としている人は絶対いるし、それをバックアップするクラウドファンディングも成り立つ。だから私はここは可能性の宝庫だと思ってる。」

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山根さんが言った「可能性の宝庫」という言葉は、私が今まで抱いていた「福島」のイメージを大きく覆すものだった。しかし、同時に納得感もあった。

現に、何人かの移住者は、「可能性の宝庫」たる楢葉で、今までの人生とは全く違う活動をしている。

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山根さんは、震災前は横浜で接客業・サービス業に携わっていた。現在は、いわき経済新聞のライターとして町外への情報発信を行う。「福島に関心のある人に、福島のアップデートされた情報を届けたい」という想いで、精力的に活動している。

現在住んでいるのはいわき市だが、楢葉周辺地域の記事も精力的に執筆する。

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一方、原発作業員として福島にやってきた市川英樹さん(46歳)は、2017年にクラウドファンディングで170万円を集め、田んぼアートを実現した。今年も、楢葉町内で自費と寄付金により、田んぼアートを実施している。

田んぼに描かれた楢葉のマスコットキャラのゆず太郎は、町内にあるサッカー競技施設「Jヴィレッジ」にちなんでサッカーをしている。目標は、2020年までに楢葉に30万人の観光客を呼ぶことだ。

➂

楢葉町周辺で、山根さんのように地域に根付いた発信をする人、市川さんのように観光客を呼ぶ取り組みをする人はそれほど多くはない。しかし、それは個人の挑戦が目立ち、注目されるということでもある。

周囲の人から協力を得られれば、一人一人の活動は、大きく広がる「可能性」がある。

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さらに、一般社団法人ならはみらいで楢葉の街づくりを担う西崎芽衣さん(26)は、大学卒業後、楢葉へ移住した。

大学休学中に、楢葉町の避難指示解除に立ち会った経験が、移住の決め手となった。「自分が本当にやりたいこと」を考え、東京での就職を辞退した上での決断だった。

S.A.L. Blog _ 慶應義塾大学 学生団体S.A.L.公式ブログ と 2 ページ ‎- Microsoft Edge 2018-12-25 00.33.38西崎さんは、被災地だからこそ、解決すべき課題があり、自分に役割があると笑顔で語る。西崎さんがこの町で暮らす理由の1つは、「存在意義」だ。

「『自分じゃないとダメなんだ』っていうのは被災地だったり田舎だったりするからこそ得られるやりがいだと思う。」

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また、西崎さんは、課題や問題を、ネガティブに捉えていないようだった。むしろ、取り組むこと・解決することに楽しさを見出しているようだった。

「いったん町として0になって、課題だらけだから、自分が関われるものがある。あとは上がっていくしかないしね。だから、何をやっても新しい。何をやっても復興してるって思える。何にでもチャレンジできる。

年齢問わず、自分がやりたいことに主体的に関われることは、やはり大きな魅力だろう。楢葉町の未来を見据える西崎さんの声は、明るかった。

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私が東京で抱いていた、福島への移住者像は、「根深い問題を抱えた福島を良くするために頑張る人」である。

しかし、私が古谷さんや西崎さんに抱いた印象は違った。もちろん福島を良くするために頑張ってはいるが、それ以前に「楢葉が楽しい」「楢葉の居心地がいい」といった感情があるようだった。

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そして、楢葉町の移住者は、この地域にある課題に高いモチベーションで取り組み、「可能性」を現実にしている。課題だらけのこの町で、それぞれが挑戦している。

だからこそ、次にここに来るときには、もっと良い町になっているのではないか。私は、楢葉町に、当初はなかった希望を抱いた。

ワンルーム7万以上~この町に来る障壁~

それでは、「可能性の宝庫」たる楢葉町に、なぜもっと移住者は入ってこないのか。もちろん、福島県外の人が、未だに悪い「被災地」イメージを持ち続けていることが、大きな要因の1つだろう。

しかし、その他にも、外から移り住むにあたり、現実の障害となっていることが2つある。

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原発立地特有の課題を語ってくれたのは、一般社団法人ならはみらいで西崎さんと共に働く、堺亮裕(りょうすけ)さん(25)だ。

「楢葉って工事関係の人が入ってきてて、すごい地価が高くなってる。ちょうど役場の目の前のマンションがワンルーム7万円以上。それで僕がここに来るときは困ったかな。」

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除染作業を請け負う企業は、相応の工事費用をもらうため、高値でも作業員のための住宅を用意できる。それにより地価は上がり、移住者の障壁となっている。

また、楢葉は、元々3世代住宅が多く、一人暮らし用の家は少ないという。特に単身の移住希望者にとっては厳しい現実である。

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「ここが課題の宝庫っていうのは間違いない。ただ、その課題に若い人たちが取り組めるような環境を作っていかないといけない。それが僕の一番の問題意識。」

現在、移住者の古谷さん・西崎さんは、もう一人の女性の移住者と共にルームシェアをしている。移住するにあたっては、移住者同士の協力体制も重要になってくるだろう。

住民の内輪意識~この町に来る障壁~

また、移住当初は、住む町のことを知り、人と信頼関係を築くことにかなり苦労したと山根さんは語る。

➃

「町の人は、多分『東京から何も知らない人が来て、何してくれるの』と思っていたし、私自身もそれを痛感した。移住後一年から一年半くらいは心を病んで、月に一回福島から東京の心療内科に通っていた。」

小さくまとまった町だからこそ、内輪意識やしがらみ、独自のルールが障壁となることがある。実際に、楢葉に一度移住したものの、馴染めずに町外へ出ていった人もいる。

山根さんは、移住者であれば、だれもが一回は病んだりくじけたりしているのではないか、と言う。若者が少ないからといって、ただ来れば、無条件で村人の一人として迎えられるわけでもないようだ。

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さらに、山根さんは、自らが主体的に動き、情報収集する大切さを語った。

「地元の人の話に、『そうなんですか』って言っているうちはそこで話が終わる。けど『私そこ行きました』『その方にお会いしました』って言えると、話が広がっていく。そうしてやっと地域の人と対等に話ができる。」

現状では、移住者の側が積極的かつ意識的に地域に溶け込んでいく必要性がある。しかし、それでは移住者が、人と打ち解けやすく、積極的に動ける人に限られてしまう。

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もちろん移住者側に相応の苦労が伴うのは仕方がないことだが、「この町で何かをしたい」と思う人が町外へ出ていくのは、あまりに惜しい。

今後は、町民側も、移住者を広く受け入れる寛容さが求められるのではないか。

風景の1つ1つが愛おしい~楢葉の豊かさ~

山根さんが語るように、小さくまとまった町だからこそ、外から人が移り住む難しさがある。しかし、一度入り込んでしまえば、そこは自分にとって非常に居心地の良い場所にもなり得る。

古谷さんは、楢葉町の魅力は、「近所の人との関係の中にある」という。

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他愛ない会話をする日常が幸せだって、住んでいる人はそれとなく感じている気がする。それで、そういうことを気付いている人たちと一緒にいるから私も幸せなんだなって思う。」

昔から楢葉に住む人々は、一度楢葉からの避難を余儀なくされ、何気ない日常を失った経験を持つ。だからこそ、より何気ない日々の出来事に幸せを感じるのかもしれない。

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そして、それが移住者である古谷さんにも波及しているようだ。

「目に移る風景の1つ1つが、全てご近所さんにお手入れされている。綺麗に刈られた草とか、庭先のお花とか、田んぼとか。フレコンバックだって知り合いが移動とか運搬とかしている。ここは少ない人数で見知った人たちが風景を作っているから、風景の1つ1つすごく愛おしい。

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古谷さんは、汚染物を詰めたフレコンバックを含め、風景全てが「愛おしい」という。そうした何気ない日常の風景を、「愛おしい」と思ったことが、私にあっただろうか。

良い成績をとったり、旅行したり、美味しいものを食べたり。そうした刹那的な喜びはあっても、古谷さんのような日々の恒常的な幸せは感じていない気がする。

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楢葉には多くの物がない。店・人・交通手段・住宅・観光資源・特産品、これら全てが足りていない。物質的豊かさ、便利さで言えば、東京には遠く及ばない。

しかし、花を植えるご近所さんがいて、それによって作られる風景がある。町の機能が停止した過去を経て、そうした日常に幸せを感じられる人々がいる。

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古谷さんは言う。「東京にはもう帰れない」と。

この町には、合理性超えて、人を惹きつけるものが確かにある。

終わりに~これからの楢葉町~

IMG_23812018年6月26日。「ここなら笑店街」がオープンした。

「商」と「笑」がかかった名前には、町民に買い物を楽しみ、笑顔になってほしいという願いが込められている。

開店したのは、ホームセンター、スーパー、カフェ、飲食店など、10店舗。主導したのは、一般社団法人ならはみらいの西崎さんや堺さんだ。

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この町は、未だに被災した過去を引きずっている。しかし、その過去は、可能性ややりがいを生み、移住者がやりたいことに挑戦できる空間を作り出した。

そして、町に惹かれた移住者の手により、この町は未来に向けて少しずつ変わっていく。楢葉町は被災地でありながら、「新天地」でもある。

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移住は、人生における大きな決断であり、気軽にできることではない。原発立地の町となると、さらに抵抗はあるだろう。だからこそ、東京から車で3時間30分。楢葉町に是非1度だけ足を運んでほしい。

きっとそこには、魅力的で、可能性に満ちた、「被災地」が広がっている。

【文責 9期 小川聡仁】

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季節について

8月の18日から3週間ほどインドネシアに行った。インドネシアへの渡航は今年で二回目。前回はおよそ半年前の3月初め。日本では、少しずつ暖かくなってきた時期で、シャツ二枚に薄いウインドブレーカーで成田空港に向かったことを覚えている。飛行機内や空港内がえらく寒いため、今回も同じウインドブレーカーをバックに入れてきた。この半年一度も洗っていない。

一年のうちで同じ国に二回も行くことは今までなかったし、インドネシアは一年中あまり温度差がなく、年間の変化は降水量と湿度くらいだったので、入国するときには少し不思議な気分になった。何も真新しい感覚などなく、この半年間ずっとこの島国にいたような気分だった。

前回の渡航で初めて会った、ジャカルタに住むインドネシア人の友人に再び会った。彼らと再会して間もなく、半年合わなかったことが嘘のように、くだらない冗談を言い合い、他の誰にも理解できないインサイドジョークを繰り広げた。

滞在した3週間のうち、はじめ5日と後5日はジャカルタに泊まり、彼らと繁々会っていた。その度に彼らは、前回に会った時期を全く覚えていない、というような返答をしていた。私が前回何月に来たか、何カ月前に来たかなども、覚えていない。私が3月頃だと言っても首をかしげる始末。なんだ、インドネシア人はずぼらで時間の感覚もないのか、などと一度は失礼な推測をしたものの、その後もシャワーを浴びている時に思いだすくらいには気になっていた。

今回の渡航で最後に彼らに会ったレストランで、来年か再来年に日本で再会しようという会話になった。彼らのうち一人はよく日本に来るのだが、もう一人は一度も海外に行ったことがなければ、雪などは見たこともない。雪は見てみたいが寒いのが大の苦手ということで、夏の日本に来ること、そして山登り、川下りを勧めた。その時に私ははっとした。

当たり前のことなのだが、彼らの国には四季がないのだ。彼らは一年の出来事を季節の変化で結びつけることはしない。四季を楽しむ我々は、無意識に、ある出来事が起こった時の気温や湿度、草花の色彩やその芳香、さらには雲の高さや風の質感など、あらゆる季節の顔色を覚えている。そしてそれらを出来事と結び合わせている。

これは、インドネシア人と日本人の記憶力の差ではない。我々日本人の生活、命が季節の顔色と共に成立していることの証明である。そう思うと同時に、この夏の涼しさの香りを全身いっぱいでかぐことに、今の自分を感じる。

【文責 8期 高橋渉】

違和感

アウン=サン=スーチーのイメージしかなかった「あの国」。が、私にとって特別な国の一つになった。
2013年3月6日、モヤモヤと隣り合わせの10日間が始まったのだった。

ミャンマーを歩いていると、どの街にいても一日三回はパゴダに出くわす。
「この※パゴダを見なければ、ミャンマーに来たとは言えないんだ」。と、神妙な面持ちで語る人を一体どれだけ見ただろう。なるほど中を覗いてみると、黄金色に輝くパゴダは歴史を感じさせる。

しかし、しばらく中を歩いていると異様な光景に出くわした。仏像やパコダに電飾がなされていたのだ。まるでクリスマスのイルミネーションかのような飾り付け。私は違和感を覚えずにはいられなかった。

違和感はこれだけではなかった。現地でインタビューをしたときに、
「少数民族のことは今はなんの問題もない」。「難民についても、政府はきちんと受け入れ姿勢を示している」。との答えが。彼らの答えは本心から出たものなのだろうか。私が思っていた問題は現地の人にこう捉えられているのか。

しかし考えてみればたしかに、この国の人々は嘘のように優しい。クシャミをしていれば薬をくれるマーケットのおばちゃん。
いきなり近づいてくる怪しげな日本人に食べ物をくれるお母さん。

本当にこの国が問題を抱えているのか。こんなにものどかな地で、暗い部分を浮き彫りにしようと模索する自分に嫌気がさしはじめていた。やはりなにかがおかしい。彼らの言葉に違和感を感じながらも、今、目の前にあるこの国からは充足感を感じている。

そんなことを考えながら夜道を歩いていると、ライトアップされたパゴダが美しく輝いていた。
しかし、わたしはこの国で、一見美しく見えるものの中に感じたこの違和感を大事にしたいと思った。

きっとこのモヤモヤは、私があくまで外部の人間だということが原因だ。現地に行ったことで、その事実をよりはっきりと突きつけられた気がした。外からの報道という形でしか見えない部分もあるのだと改めて気がついた。

それでも、ミャンマーはもはや私にとって得体の知れない国ではない。だからこそ、この旅はまだまだ完結してはいけないのだと思う

2013.3.7

【文責 松坂くるみ】

注)この記事では国名にミャンマーを使用しておりますが、ビルマとする説もあります。

※パゴダ
ミャンマー様式の仏塔のこと。

疑惑の島

みなさんは、地中海の東側に浮かぶ島、キプロス島という島をご存知でしょうか?

この島は、ヨーロッパでも随一のリゾート地として有名で、地中海の美しいビーチを求めて、夏の休暇になると、多くの人々がこの島に訪れます。

しかし、そのような多くの観光客は、島の北側には足を踏み入れることはありません。

キプロス島は、1960年、イギリスの支配下から抜け出し、独立を果たしました。

元々、この島にはトルコ系キプロス人とギリシャ系キプロス人が住んでいました。
1960年の独立後、二つの民族が住む複合民族国家としてキプロス共和国はスタートしました。
民族構成は80%ギリシャ系で20%トルコ系でした。

初めは仲良く二つの民族が共に暮らしていました。
しかし、権益などに関する両系民族の争いが深刻になるにつれ、キプロス島は不安定な情勢になっていきました。
国連平和維持軍が仲介に入るほどになってしまいました。

そして、1974年、ギリシャ系キプロス人の大型テロにより、キプロス島内で大きな紛争が勃発します。
キプロスのギリシャ併合を強く望むテロ組織EOKAが当時のキプロス政府の中道路線に反対し、各地でテロ行為を行いました。

危険にさらされたトルコ系住民はたまったものではありません。
そこで、トルコ系キプロス人の保護という名目で本土トルコがキプロス島に軍を送ります。
そして、トルコ軍がキプロスの北側を占領してしまいました。

その時から、キプロス島は南北に分断されたままです。
北側にトルコ系住民、南側にギリシャ系住民が住んでいます。

今現在、北キプロスは国として独立を果たそうとしています。
しかし、北キプロスは今でもトルコ軍が支配していることになっているので、トルコ以外の国は北キプロスを国として認めることはありません。

一方、南キプロスは正式に国として認められており、EUに加盟しています。
欧州からの観光客は多く、貿易や投資も盛んです。

従って、南キプロスに来た観光客は北を訪れることはほとんどありません。

このことから、北と南の経済格差は広がる一方です。

南はヨーロッパの街並みが広がっている一方、北は活気がなく廃墟が広がっています。
北キプロスは国際的に孤立を深めるばかりです。

そんな中、2004年に両系住民による国民投票が行われました。
それは国連のプランで、キプロス共和国の統合を目指すものでした。

この際、北のトルコ系キプロス人は統合に対し、賛成が多数でした。
しかし、南のギリシャ系キプロス人は反対が多数でした。
よってこの統合案は可決されず、キプロス島は今でも分断されたままです。

南北の経済格差が広がり、国際的に孤立する北キプロスが今後、東アジアの北朝鮮のような脅威になることも考えられます。
人口が70万人で四国の半分ほどの大きさのこの島で、50年間ほど問題が解決されずにいます。

今回の渡航では島で一体何が起きているのか、両者の食い違う意見、平和を望む彼らの声を自分たちで見、聞き映像に残したいと思います。

実際に現地に行き、分断問題を肌で感じ、それを持ち帰り、ドキュメンタリー映画として、日本で上映します。

トルコ系キプロス人、ギリシャ系キプロス人がそれぞれどのような思いを抱いているのか。”今”キプロス島では何が起きているのか。平和構築のあり方とは。

そのような事を今回のスタディツアーで映像に残せたらと思っています。

【文責 渉外局二年 小長谷謙治】

パシュパティナート

ネパール、パシュパティナート。ネパール最大のヒンドゥー寺院で、観光客が火葬を見学できるところとして有名な場所である。そこで見学した火葬場の様子について書き残したい。

とても濁った川の沿岸に火葬場はある。数人の男たちが白い布で包まれた遺体を運んでくる。遺族らしき真っ白の服を着た人たちによって赤、黄色の粉、花びら、聖水?らしきもの、いろいろなものをふりかけられたそれが、火葬台へと乗せられる。遺体を焼く人が様々な太さと長さの薪をテキパキと組み、徐々に遺体が隠されてゆく。最後に藁がそっとかぶせられ、見える部分は足の先のみとなった。火がつけられブスブスと白い煙が上がり始めた横で遺族が両手で顔を覆って泣いている。とてもつらそうだ。
驚くことにそのすぐ横で楽しそうな笑い声をあげる子ども達がいる。川を泳ぐ孤児たちだ。燃えた後川に流される遺体の遺品を集めて生活しているのだそう。
子供と遺体。
喜びと悲しみ。
生と死。
様々なものが一つの視界のなかに収まって僕は何が何だか分からなくなってしまった。

日本において死について考える機会を持ったことはなかった。日本において死とは悲しく、忌むべきこととして生活から遠ざけられるものだからだ。インドやネパールでは死は身近なものとして日常に存在していた。死について考えても明確な答えは出なかったしそんなものはないのだろう。だがたとえ観光という形であっても死に触れ、考える機会をもつことはきっと必要なのだ。特に日本人には。

体と服にまとわりつくような煙とにおいを回想して僕はそんなことを思ったのだった。

2013.09.27
【文責:渉外局1年 坪井拓斗】

百聞は一見に如かず

飛行機に乗り込んで、ヨルダンという国に旅立つ。

あなたはこの国を知っているだろうか?

残念なことだが、知らないと答える人がほとんどだろう。
この国も世界の中の一つのピース。
それなのにほとんどの”日本人”は
行くこともない、知ることもないのだ。

何も知らないはずなのに
どこかで植え付けられた恐怖の種に
頭の中を上書きされている気がする。
ニュースや新聞から栄養をもらって
思想に深く根付き、簡単にはひっこ抜けない。

長いフライトから解放されて、
少し街を散歩してみる。

はじけるように鳴り出すクラクション。
騒がしい雑踏のど真ん中で
すれ違う人々は笑顔で声をかけてくる。
「Welcome to Jordan!」 「ニーハオ!」 「こんにちは!」
時々間違っているけれど、
かけられる言葉は全て歓迎の気持ちの表れ。
それに応えていくうちに、少し曇っていた
表情と心情は晴れやかになっていった。

シリアの内戦で生み出された難民を
飲み込み続けるこの国は、大事な局面を迎えている。
今、踏み出す一歩は希望への小さな前進か
それとも終わりの始まりなのか。
現状とその未来を、見るため知るためにここに来た。

それなのに私は無意識に警戒していた。
国に、街に、人に、壁を作っていた。
声をたくさんかけてもらって、
笑顔で人と話をしてやっと気がついた。

勉強していたつもりだけれど、
結局何も知らなかった。

自分も”日本人”だったんだなあ。
ふとそう思ったとき、頭の中の根は枯れ
恐怖の種は友好の花に変わった。

2014.03.24
【文責 マネジメント局1年 守屋 和穂】

行ってきます。

「想像出来る」

大学生になって二年。
そんな日々を過ごしていたような気がする。

なんとなく大学生活も馴れてきてアルバイトでお金を稼ぐこともたまに授業を休んでしまうことも覚えてしまったりした。

当たり前のことが当たり前にできることが自然と想像出来てしまっていたのかもしれない。

3月4日から7日間ネパール、11日から10日間インドへ旅立つ。

アジアの最貧国のひとつである ネパール

ヒマラヤで朝日を浴び、ケーブルカー体験し自然を堪能し
チベット難民キャンプ、NGO訪問で国が抱えている諸問題を考え
世界遺産、市内観光でネパールの魅力を知る

多くの人がそのナショナルパワーに魅了される インド

10日間で5都市をまわり、インドを十二分に堪能する
寝台列車や象に乗り移動していく
多文化多民族国家で数多くの宗教が混在するこの国が抱える立場の低い子どもや女性を支援するNGOを二ヶ所訪問する予定

異国での生活はきっと自分に知らない世界を見せてくれるだろう。

何と出逢い、何を見て、何を感じるのだろうか。

いまはまだそれがまったく想像が出来ない。

バックパックには最低限の荷物と期待と不安でいっぱいになってしまった。
旅立ちを応援して背中を押してくれた人の声援も忘れずに背負ってメンバー全員が無事に帰国出来ることを祈り、行ってきます。

【文責 M局 穂積 奈帆】

変化を遂げた牛

なぜヒンドゥー教の最高神の一柱シヴァは、牛というなんとものろまでつまらない動物に乗ったのであろう。

虎など、他に選択肢はなかったのか。
一宗教の最高神が乗る動物としては少し物足りなくはあるまいか。

もしシヴァが乗っていた動物が、虎や象やラクダだったら世界は何か変わっていただろうか。。。

僕にとって宗教なんてそんなものだ。

インドで、僕は日本から来ていると言うと、よく”Buddhist?”と聞かれた。

無宗教です。と答えると変な顔をされる。

逆に彼らに聞いてみると、それぞれの信仰の程度はわからないが、全員が自分の信じる宗教を持っていた。ほとんどがヒンドゥー教であった。

好きなサッカーチームを持っているのと似た感覚であろうか。
その程度でしか僕はわからない。
わからないが、その宗教が理由で人が血を流しあったり、カーストといった制度で一人の人生が決められてしまったりしていることは知っている。

悲惨なことだと思う。

こんなことを思う。
シヴァが牛に乗っていた当時、もしかしたら、牛は俊敏で獰猛であり、逆に虎はのろまで全くかっこ良いと思われていなかったかもしれない。だからシヴァは牛に乗った。しかし、時代が進むに連れ、虎が俊敏になり、牛の能力が衰えていった。動物界は変わったのだ。

以上の話はデタラメで空想の中の話ではある。
しかし、宗教の中の話もデタラメかもしれない。
もちろん宗教の中の話は本当にあったことかもしれない。
それこそ神のみぞ知ることだと思う。

しかし神でない僕でも一つ言えることがある。

時代は時と共に変わっていく。

カーストの元々が成立したのは紀元前13世紀ごろらしい。

形式上はカースト制度は無くなったことになっているが、所々でそれに関連した問題は残っているという。

信仰の自由を保ちながら、大昔の宗教的身分で人生が左右されない社会、国民の意識改革が、経済成長著しいインドで求められるものではないか。時代は進んでいるのだ。

今日もインドでは物乞いの横で牛がモーと鳴いている。

【文責:渉外局一年 小長谷謙治】

「今」が「過去」になる前に

数ヶ月間食事をとっていないと思われるほどガリガリに痩せ細った男性が、力なく横たわった状態でこちらに視線を向けている。

イスラエルにあるヤド・ヴァシェム*に飾られた「過去」の悲惨な光景を写し出した一枚の写真。

私はその写真の前で足を止めた。

―そこに広がる光景に、なぜか見覚えがあった。

* * * * *

ヨルダンの首都アンマン。

この街にはシリア紛争から逃れてきた”シリア難民”と呼ばれる人々が多く住んでいる。

 

紛争が始まってから三年間、メディアに煽られ他国の利害に左右され続けてきた中東、シリアの人々。

―もう疲れた。戦争はやめたい。

そう思ってももう後戻りをすることは出来ない。

あまりに多くの犠牲を払い続けてきてしまったから。

ある人が「家族、親戚、または知人が殺されていない人なんて一人もいない。」と言った。

そして今日も殺し合いは続いている。

 

この紛争で生み出された”難民”の数は過去最大。

ヨルダンに逃れた”難民”の数は約60万人*。

この「60万」という”数字”に置き換えられた一人一人の姿をあなたは想像することが出来るだろうか?

 

ガリガリに痩せ細った腕で赤ちゃんを抱き、力なくこちらに視線を向ける女性。

娘は殺されて妻の行方はわからないと嘆く男性。

おじさんは銃で撃たれて死んだ、と悲しそうな表情を見せる少年。

シリアで負傷して仕事が出来なくなってしまった男性。

学校に通わず一日12時間働いても3JD(約420円)しかもらえないという少年。

 

ある男性は、昨日まで大学の教授をしていた。

またある少女は、昨日まで学校に通っていた。

―昨日までの当たり前が今日も明日も当たり前に続く、とは限らない。

 

良くも悪くも”平和ボケ”した私たちには想像し難いが、全ては「今」世界の裏側で起こっている、現実なのだ。

ヤド・ヴァシェムに飾られた「過去」の写真の数々を見て、「過去」も「今」も変わっていないように思えて仕方なかった。

ガリガリに痩せ細り力なくこちらに視線を向ける写真の中の男性と、痩せ細った腕で赤ちゃんを抱き力なくこちらに視線を向けるシリア難民の女性。

―彼らは何が違うの?「過去」と「今」の間で、何が変わったの?

 

「過去」を”忘れない”ことは大切だ。

しかし世界の裏側で苦しむ人々の「今」に背を向けて、「過去」になってから”忘れない”というのはあまりに無責任ではないだろうか。

 

* * * * *

 

―「今」が「過去」になってしまう前に、私に出来ることって…?

 

私は写真の中から力なくこちらに視線を向ける男性の前からしばらく離れることが出来なかった。

 

*ヤド・ヴァシェム

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって虐殺された約600万人のユダヤ人を慰霊する目的で建てられた博物館。

 

*ヨルダンに逃れたシリア難民の数、約60万人

正確には587,308人(2014/3/23 UNHCRデータより)

難民登録されたシリア難民の数 2,538,110人

http://data.unhcr.org/syrianrefugees/regional.php

 

2014.03.25
【文責:マネジメント局1年 田中千晴】

“SHAKE SHAKE!”

もちろん振っても意味がないことは知っている。
でも、ただ待っているだけじゃつまらないし
なにが起きているのかわからないから
振ってみる。
魔法をかけるみたいに。
始めは怪訝そうな顔をしていた子供たちもそれが現れた瞬間笑顔がはじける。

今回の旅のため、チェキと100枚のフィルムを買った。
撮ったらすぐに写真が出てくるインスタントカメラだ。
きっかけは去年の物乞いについてのディスカッション。
―物乞いにお金をあげる?あげない?
様々な意見の中に
「何か他のものをあげる」
というのがあった。
たとえば、あめ。チョコレート。そして写真。
その時チェキを持っていこうと思った。

でも、写真なんてもらってくれるのだろうか。
お金なら好きなものが買えるけど、写真じゃ買えない。
お菓子なら少しは腹の足しにはなるけど、写真じゃならない。
単なる自己満足なのか。
どちらにせよ、行ってみなければわからない。

そんな不安があって、最初は撮れなかった。
チトワンに来て、あまりに雄大な自然が私の感覚を良い意味で麻痺させてしまったのか
宿の近くの民家や孤児院に行って、たくさんの写真を撮った。
写真が出てくることに驚き、喜んでくれる彼らを見て私もうれしくなる。
ついに、物乞いの子も笑顔になってくれる。
友達まで呼んでくる。
子供だけじゃない。大人だって喜んでくれる。
ただの目隠しにすぎないかもしれないけれど、
みんなが笑顔になれる魔法の時間だった。

やっぱり、来てみないとわからない。
ただ待ってるだけじゃつまらないし
なにが起きているのかわからないから
旅に出る。
魔法にかかるかもしれない。

【文責 渉外局1年 竹崎奈津子】