平和

僕はこのスタディツアー中、この言葉を何度も聞いた。

 聞いた場面は様々だ。タイ、ネパール、インドとどこでも耳にした。とりわけネパールではたくさんこの言葉を耳にした。

 ネパールにあるチベット難民キャンプでの話を紹介したい。
 ここではチベットを中国からの独立を目指す人々の話を聞いた。チベット人による独立運動への弾圧、弾圧にともなう中国軍によるチベット人の大量虐殺や人権侵害、またチベット人の抗議自殺。特に難民キャンプの入り口付近にあった、焼身自殺した人々の写真は衝撃的なものだった。
 チベットには軍事力もなければ、財力もない。彼らの資金源は中国からの支援金に頼るのみである。それにも関わらず独立を訴えている。僕たちは疑問を隠せなかった。
 「仮に中国から独立して、財政面はどうするつもりなのか」
 彼らはこう答えるのみだった。
 「平和的な解決しか道はない」
 彼らはいつか中国が変わるのを待ち続けるしかないと言った。彼らはいつか中国がチベットを解放し、かつ資金援助を続けてくれるような平和的な日々を、ただひたすら待っているのだ。
 僕は「平和」とは何なのか、と自問した。僕には彼らの言う「平和」は彼らにとって都合のいい決まり文句にしか聞こえなかった。人と人とが助け合い、みんなが幸せになるそれが平和なのか。そんな世界がいつか訪れるのか。また平和というものは存在するのか。

 スタディツアーに行く前までは、人と人とが助け合い、みんなが幸せな世の中が「平和」なのだと思っていた僕ですが、スタディツアーに行って、現実を突きつけられて、見てからは、何が「平和」なのかわからなくなった。「平和」な世の中なんて実現不可能なんじゃないか。

皆さんはみんながみんな幸せなんてあり得ると思いますか。人の幸せは他人の不幸の上に成り立っているというのに。また平和とは何だと思いますか。

2013.09.27
【文責:広報局1年長谷川大貴】

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