ヨルダンスタツアを終えて 2

受験生だった時は、サークルで友達と遊んだり飲んだりして、彼女と色んなところ行って、お金がなくなったらバイトして…という普通の大学生活を送るつもりだった。

 

なのに、

 

 

どう考えてもおかしい。どうして今ヨルダンにいるんだ。

 

 

 

 

そんなことを、ヨルダンでの生活が始まったばかりの、トイレットペーパーすらない小バエの飛び交うトイレで考えていたことを思い出す。

 

 

思えば、状況がおかしくなったのは入学直後にあの忌まわしい日系タイ人と出会ってからである。それからSALに入り、なんやかんやで6月にヨルダンに行くことが決まり、よくわからないまま必死でバイトして旅行費を貯めた。

 

そして9月。本当にヨルダンに行ってしまった。

 

 

そこでの生活は日本とは全くと言っていいほど違うものだった。ホテルのシャワーはお湯が出ないし、朝ご飯に並ぶ野菜は決まってトマトとキュウリだけ。某遺跡では入場だけで8000円近く取られるし、街の人は街の人で「中国人か?」と声をかけてくる。途中から面倒臭くてそういうヤツには「こんにちは!」と日本語で返事していた。

 

 

それでも今、その旅を終えてまず浮かぶのは『行って良かった』という言葉だ。

散々文句も言ったが、それ以上に、ヨルダンならではの美味しい料理や面倒だけど可愛げのある街の人たちとの出会いは本当に忘れられない経験になった。

ワディラム砂漠や死海、紅海などたくさんの素晴らしい自然と触れ合えたことも中東の捉え方を変えるきっかけとなった。唯一ペトラ遺跡にはあまりいい思い出がないが。

 

 

日本では味わえない日々を過ごし、ひとまわり成長することができた。そんな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてもう一つ、自分の常識を変えられたことがある。

 

 

今回の旅では、難民の方々と触れ合う機会があった。

その際に、ある難民の家庭を訪問した時だ。賑やかな地区から離れた場所に位置するその家には、ベッドもタンスもカーペットも、何もなかった。

しかし、彼らの顔には笑顔があふれていた。彼らは辛い過去を経て今ここにいるはずなのに。

その時初めて、自分が思っていた難民の姿が誤ったものだったことに気づいた。それと同時に、彼らの未来はここではなくシリアにあるべきだ、と強く感じた。

 

 

遠い異国の自分にとっては実感のなかった難民問題と向き合う2週間を通して「自分は何をするべきか」と常に考え続けた。

 

その問いの答えはついに出なかったが、難民として生きる彼らを、そして彼らを支援する人々をもっと知ってもらいたいという気持ちが強くなった。

もちろん、知ってどうなるかはわからない。それが問題の解決につながることはないかもしれない。

 

 

でも、たとえそうであっても、目を向けないで済む問題ではない。

 
 

 

 

もう一度、ヨルダンに帰ってこようと思う。

今度は、日本でひとまわり成長してから。

 

【文責:9期 髙橋英佑】

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