カラフル

奇妙な形相をした神様の像が敷き詰められ、蛍光に近いピンクや水色など、奇抜な色をした家々がひしめき合っている。インドは州ごとに人々の嗜好や町の風景が変わると聞いたが、マドゥライの住民はどうやら目を引くほど鮮やかな色で町を彩るのが好きらしい。

インドに着いて初めて空港から出たその日、バンの窓から風景を眺めていた。リキシャが撒き散らす砂埃を浴びながらも大声で談笑する人たちを見ていると、自分が日本でいちいち気にしている細かいことが、ここでならどうでもいいように受け取られるんだろうなと感じた。早く自分の足でそこに飛び込みたくて、もっと道行く人に近づきたくて、私は炎天下の真夏日に早くプールに入りたくて仕方がない子供のようにうずうずしていた。

そんな町中で一際目立っていたのはヒンドゥー教の神様ガネーシャの像だった。ガネーシャは頭は象、体は人間というこれまた異様な形をした神様である。今日は彼の誕生日ということで、そのために作られた祠が大体数百メートルおきに作られていた。その周りには老若男女様々な人が集まっている。お祈りのためか、井戸端会議をしに来たのか、はたまたその両方なのか。いづれにせよ、普段は何の関係もない人たちが同じ目的を持ってその場に集まっているという状態が素敵に思えた。

気づけば私は、大学だったりアルバイトだったり同じ「くくり」の中にいる人間としか関わっていないのかもしれない。同じ授業を受けている友達の中には関西出身の人や東北出身の人がいる。ただ、例え大学の友達が日本全国から来た人たちだとしても、私の家の隣に住むサラリーマンのおじさんについては下の名前も分からない。

インドにだってカーストという立派なくくりがある。そしてもちろん日本と同様に大人には仕事があり、子供には学校がある。けれども ガネーシャの像はそんな無数に存在する「くくり」を大きく包み込んでマドゥライの人々を繋げている。確かにそうしてできた「くくり」だってヒンドゥー教の範囲内にしか収まっていないかもしれない。けれども世界中の人を同じ「くくり」に囲いこむ必要があるとは思っていない。近くにいるのに関わったことのないような人たちをつなげてくれさえすればいい。白髪のおじいさんと子犬のような目をした赤ちゃんを同じ場所に引き寄せるように。

奇抜な色が思いに思いに散らばるマドゥライの町並みがきれいに見えてしまうように、バラバラの生活を営む人々がこの時ばかりは一つに繋がっていく。

【文責:8期 藤岡咲季】

 

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