善と悪

1975年から3年と8ヶ月の間に、300万以上もの罪のないカンボジアの人々が虐殺された。
いかなる狂気がこのような悲劇を引き起こしたのだろう。

カンボジアスタツア2日目、僕たちはトゥールスレン収容所博物館とキリングフィールドを訪れた。

ポルポトは自国を己が理想とする共産主義国とするために、その計画の妨げになると思われる知識人を邪魔者とみなし、彼らを殺害する道を選んだ。
クメールルージュと呼ばれるポルポト政権の軍隊は、カンボジア中の知識人と思われる約300万の人々を収容所に監禁し、残酷かつ残虐な拷問を行った。
トゥールスレン収容所博物館は実際にその拷問が行われた場所のひとつであり、拷問に使われた道具や拷問の様子を描いた絵、実際の写真などが展示されている。
どれも見るにたえない残酷なものだった。
収容された罪のない人々は、日々過酷な拷問を受けいったいどんな気持ちだったのだろう。
いつの日か再び自由を取り戻せるだろうという希望を、薄暗い独房の小さな窓に差し込む光から探していたのだろうか。
しかし、彼らの希望の光が実像を結ぶことはなかった。
2万人の内、生存者はたったの7名だ。
拷問された人々は後にキリングフィールドへと目を隠されたまま運ばれ、クメールルージュによって機械的、効率的に殺されていった。

あまりにも大きな犠牲を前に、僕はうろたえ、そしてポルポトを憎んだ。
彼は理想とする共産主義国を作り上げるためにすべてを0からやり直そうとしたわけだが、その結果が300万人以上の死だ。
もし仮に彼が作り上げようとしていた国家があらゆる面でより優れたものになったとしても、このような非人道的な方法をとってしまった時点で彼に指導者としての資格はない。
「手段を誤っただけでポルポトは悪ではない」という意見もあるが、僕はそうとは思わない。
目的とはあくまで手段選択の指針となるものであり、事実残るのは選択した手段がもたらす影響である。
目的がいかなるものであろうとも、悪い手段を選択したのならばそれは悪だと僕は思う。

善悪は表裏一体であり、善か悪かを判断する基準はどこにもないゆえに、このような悲劇が起きてしまったのだろう。
ポルポトは彼なりの善を貫いた結果が300万人の死だったのかもしれない。
何が正しくて何が間違っているがも分からないこの地球の上で、同じような悲劇が起きないようにするにはどうすれば良いのだろうか。
僕は生きていく上で、この先ずっとこの問いと向き合っていかなければならない。

2012.9.12

【文責:4期 林 俊洋】

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